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ペーサーとよばれた男

あっ、いや、さっきまで「海賊とよばれた男」観てたから(笑)

なんか僕の頭が悪いからかあんまりよくわからなかったけど、まぁ純くんが出ている映画は観るってことになっているから、まぁ、いいや。
染谷って人はいい役者だね、と思った。

昨日は、赤羽で飲んだ。
赤羽って知ってる?東京の北の方にある下町でレッドウィングのブーツは赤羽の製靴工場で作られているんだよ(嘘)
マラソンランナーは赤羽詳しいのかな。河川敷あるから。飲み屋街もかなりディープな街だよね。

僕は終電で帰ったけど、僕が帰る頃にも悠々と飲んでいる方々がいらっしゃって、終電大丈夫なのかな?って思ったけど、大丈夫じゃなかったみたい。

みんな若いな(笑)

そういえば、キクチヒロシ(敬称略)はピンク!かんくろーくんは白!って決まってるんだよ。
その並んでいる姿が何となく昭和っぽくていいなぁ、と思った。

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でも、この姿を見て、ずっとずっと何かに似てるなぁ、ってずっと思ってて、今朝になってこれだ!って思った。



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だから、この2人を同時に見ることができたら、きっと何かいいことがあると思う。縁起物だからね。

完走できなかったペーサーなのに、みんなに褒めてもらって、なんだかがんばろーという気になった。何をがんばるのかはよくわからんけど。
ペーサーの依頼が数件あったように思う。たぶん。よく覚えてないけど。いや、覚えてるけど、恐ろしいから覚えていないことにする(笑)

たーはるさんが名古屋からやってくるおもてなしの会なんだけど、先月も来たし、来月も来るらしい。何回来るんだよ?(笑)
ちょっと、心の友だと思っていた、たーはるさんとの距離が離れるような驚愕の事実を知ってしまったけど、まぁ、でも来月も楽しみだ。

とりあえず明日から10月。
肋骨はまだ痛いのでずっとランオフ。

そういえばかんくろーくんが今日はみんな30km走する日ですよって言っててビビった。
30km走なんてものがこの世に存在していることすら忘れていた。

来週どうするかは当日決めようと思う。会いたい人もたくさんいるからDNSでも現地には行こうかな。
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2018 信越五岳レポ(ペーサー編) ラスト

ペーサーの、しかも完走に導けなかったレポ。こんなに長くなって申し訳ございません。
そして、それでも、いつも読んでくれてありがとうございます。

エイドではトイレへ行き、ペットボトルに水を入れてもらい、バナナとかオレンジとかリンゴとかをモグモグ食べた。
一応、人からもらった賞味期限間近のジェルをいくつかお守り代わりに持つんだけど、今回もそのまま持ち帰ってきた。
やっぱりモグモグがいい。

でんさんにまだ時間はあるから、呼吸が整ったら出発しようと言った。10分近くいたんだと思う。

次のエイドは関門でもある戸隠スキー場(93km)。ここから12km。
でんさんのペース表の目標タイムは2:25。関門時刻は0時。まだ3時間くらいある。

この12kmはコースマップをみるとほとんど平らなボーナスコースに見える。実際にそんなに急な上りも下りもないのだが、見た目ほど楽ではない。時間的にも距離的にもつらい区間なんだと思う。
しかも、僕が参加した3年前にはこの間にエイドがあったので、小刻みな目標があった。
この時間のこの距離で12km先となるとランナーにとっては遥かな距離に思えるだろう。

まぁ、それでも行くしかない。

この時点では関門のことなどまったく心配していなかった。問題はその先のことだった。
これ以上ペースが上がることはないかなと思い始めていた。しかし、それだと完走することはかなり難しい。
完走できないとわかっていながら、最後の難所である瑪瑙山の上りと下りを進んでゴールを目指すことはとても難しいことだと思っていた。

しかし、それでも行くしか選択肢はない。

このあたりのコースは詳しくは覚えていないけど、走ると胸の脇が痛くてペースが落ちた。上りになると歩けるから楽になるのだが、でんさんは上りになるとつらそうでペースが落ちた。

途中、原っぱみたいなゆるい上りのコースをサクサク歩いていて、途中で振り返ると、すぐ後ろをついていると思っていたでんさんはいなくて、僕の後ろをついていたランナーが、けっこう手前で休んでるよ、と教えてくれたことがあって、でんさんはかなり疲れているようだ、と思った。

それでも平らな道になると、でんさんは絞り出すような声で、走る、とだけ言って走り出し、僕はそれについて行きながら、胸の脇も痛いし、息も吸えなくて苦しいし、でもでんさんの上りを考えると、ここでペースを上げるしかないと思って何とか着いて行った。
戸隠神社の手前だと思うけど、平坦な道がけっこう続いて、そこをでんさんはきっちり走っていて、僕はそのあとを必死で着いて行った。

しかし、その平坦な道を最後まで走れずに、歩いたり走ったりするようになり、上りのペースはさらに落ち、そして途中途中のトレイルは相変わらずの泥沼状態で、僕自身も余裕がなく、二人して疲労困憊状態になった。

それで、どこかの上りのトレイルで、でんさんは初めてその場にうずくまり動けなくなった。
それまで僕はでんさんが来るまで待っていたけど、さすがにその時はでんさんのところまで戻った。

過呼吸のような状態になり非常に苦しいというので、とにかく落ち着こう、時間はまだあるからここで休んでも全然大丈夫。過呼吸って息を吐くといいんだっけ?たくさん息を吐いて呼吸が整うまで休もうと言って、その場で休んだ。
もちろん時間に余裕はあまりなかったけど、できる無理とできない無理がある。でんさんが休んでいる間、僕はこの先どうするか考えていた。

歩き出したときには、ちょっとペースを落とすよ、と言って、ハイキングペースに変えた。上りも平坦も下りも同じようにハイキングペースにした。
戸隠スキー場の関門に間に合わなくなるかもしれないけど、今はこれでいいと思った。とりあえず今だけだ。まだ終わったわけではない。

ペースを落として、しばらく歩き続けると、でんさんは少しずつ落ち着いてきたようで、二人でいろいろ話をしながら歩いた。
今まで、でんさんは常に先を目指し、だから普通の話をするような余裕はなかったけど、今はゆっくりといろいろ話をした。
当然走っているランナーには抜かれるのだが、走っているランナーはほとんど100マイルに参加しているランナーだった。

100マイルランナーは本当にかっこいい。す~さんは男前だからきっと100マイルレースに出ると思う(笑)

さっきまでの緊迫したレースではなくて、夜の山の中をゆったりとハイキングするのも楽しかった。
でんさんは今回のレースの総括というか反省というかそういったことを話し始め、あれ?まだ終わってないのにおかしいなと言った。
うん。このまま歩き続けても関門には間に合うかもしれないよ、完走は難しいけどゴールまでは行けるかもしれないよ、と言うと、ちょっと困ったような反応だった。

ペースは遅いものの、いい感じで歩き続けているので、このあたりで僕はタイムを気にすることをやめた。
間に合う間に合わないよりも止まらずに歩き続けることができるというほうを選んだ。

でも、そのまま歩き続けて、あと2.2kmになったとき、でんさんがとても小さな声で、まだ関門間に合うかな?と言った。
僕は、ここからすべて走らないと間に合わないよ、と言った。

でんさんは、また小さな声で、関門に間に合いたいな、と言った。

そうだよ。そうだよね。そうだ。よし、走ろう!と言って僕らは走り出した。

その後のことは最初に書いた信越の結果で。

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R2さんと奥様とリンさん、改めてありがとう。
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長い時間一緒に過ごして緊張をほぐしてくれた、す~さん夫ありがとう。
笹ヶ峰で一緒にランナーを待ち続けたペーサーの人たちもありがとう。

僕の無謀な挑戦にも関わらず応援してくれた皆さんもありがとう。

そして、体重90kgの人間にペーサーを頼むという暴挙に出た、でんさん。
これ、僕にとってはかなりの貴重な体験でした。
本当に残念で、本当に申し訳ないけど、本当に楽しかったです。

ありがとう。
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2018 信越五岳レポ(ペーサー編) その8

次のエイドは大林林道(81km地点)。
ここから5kmで目標タイムは1:40。山を上って下る。
山の上りになるとでんさんのペースが落ちる。

僕は前を歩いていたのでとりあえず周りのペースに合わせて上る。
そうすると後ろをしっかりと着いてきている気配がするので、あれ?でんさん復活したかな?などと思いながらそのままのペースで上る。
ロングトレイルには復活がある。それを信じていたし、またそれがあると完走への道筋が見えてくるかもしれない。

しばらくいいペースで上り続けるも遅れる気配もなく着いてくる。あれ?と思いながら後ろを振り返る。
僕のライトが当たり眩しそうな顔をした知らないランナーがいる。
その人に道を譲り、でんさんがやってくるのを待つ。

上りではそんな感じだった。
それでもでんさんは立ち止まることはなく、自分のペースで必死に上り続けていた。
僕も、でんさんを待ち、そしてでんさんが追いつくとそれ以上待つことはなく、すぐに進みだした。

僕はよくみんなと山へ行くといつも置いていかれるけど待っているみんなに追いつくと休まずにそのまま進む。
遅くても休まずに一定のペースで進めればまだいける。何とかなる。

苦しい時間帯で苦しいコースかもしれないけど、ここはやっぱりがんばりどころだ。
つーか、あれだ。僕らのような鈍足ランナーはずっとがんばりどころだ。ずっと少しの無理をし続けないといけない。
いや、速い人だってきっとそうだろう。

しかし、この山の上りのトレイルの状態はひどかった。
泥の小川が流れていたり、足首まですっぽりと埋まってしまったり、でんさんは膝下まで埋まってしまったこともあった。
どんどん消耗してくし、どんどん時間がなくなってくる。もう少し時間に余裕があればこの泥濘の道も楽しめたのかもしれないけど、そんな余裕はなく焦りだけだった。

泥だらけになりながら何とか上りを終えたけど、下りもけっこうすごいことになっていて、そこを小走りで進むものの、周りのランナーはけっこう駆け降りていて、どんどん抜かれた。
下りの苦手な僕はやばいと思いながら周りに着いて行こうとするが、でんさんも踏ん張る脚がなかったのか、僕ら二人のペースではこのスリッピーな下りを駆け降りることはできなかった。

それでもゆっくり歩いているわけでもないのでタイム的にはそうでもないんだろうけど、この位置にいて抜かれ続けるというのはそれなりのダメージを受ける。

何とか進み林道になったので走る。
しかし、この山の上り下りでのでんさんのダメージは深かったようで、ペースが落ちてきていた。
それまで下りの林道では止まることなく走り続けてきたのに、歩きを交えるようになっていた。

僕自身は相変わらず調子がいいと思っていた。まだまだいけるなと思っていた。
で、だいたいそんな調子に乗っているときにはろくなことがない。
さっきまでのスリッピーなトレイルでは大丈夫だったのに、このなんてことはない林道で派手に転び、胸の脇を打ち、息ができなくなった。
ホント歳だと転んでも受け身ができない。ベチャって感じで転ぶ。

こんな走れる林道で立ち止まっている場合でもないのですぐに走り出したが、息が吸えなくて、息苦しい。
走ればその衝撃で胸の脇も痛いし、息苦しいしで、さっきまで絶好調くらいに思っていたのに、一気に息も絶え絶えで、でんさんのペースに必死で着いていくようになる。

お互いに息を切らしながら走る。
でんさんが少し歩くと言うとホッとする自分がいる。
こういうのダメだ。

林道を走っていると道端でえずいているけど、何も出てこないといった感じで苦しそうにしているランナーがいて、僕は胃腸をやられてしまったけどもう何も出るものもないんだな、つらそうだな、と思った。

そのランナーを抜こうと思ったら、その横についているペーサーがポイズンリムーバーの講習会をしてくれた人だったので、ああ!と言って挨拶をした。

ペーサーが僕の横に着いてきて並走しながらちょっとお話をした。

このまま完走できますかね?と訊かれたので、厳しいと思う、と答えた。
次の関門は間に合いますかね?と訊かれたので、次の関門は大丈夫。がんばればね、と答えた。

この会話が僕の今回の信越五岳で唯一後悔していることだ。

僕の答えは正確ではなくて、きちんと答えるとすると、最初の質問は

「このままのペースだと厳しいと思う。でもロングトレイルには復活があるからどこかでペースが上がればまだいける」

になる。

次の質問は

「次の関門は今のペースを保ち続けないと難しいのでそこをがんばれば大丈夫」

だった。

相手がランナーではなくペーサーだったし、並走しながらのちょっとした会話だったのでかなり省略して話したけどだいたいの真意は伝わっているだろうと思っていた。

だけど、でんさんもその横を一緒に走っていて、その会話をでんさんも聞いていた。

しばらく走り続けて、あれ?もしかしてあの会話のこと勘違いしたかな?と思った。
あくまで胃腸をやられたランナーのことを言ったつもりだったけど、もう間に合わないんだと思ったかな?と思った。
でも、そのことには触れなかった。

レースが終わってからも、あそこでの僕の発言で心が折れてしまったかな?と思った。
レース中はなかなか丁寧に物事を伝える余裕もないけど、でもそういうときだからこそきちんと物事を伝えないといけないんだな、と思った。

でんさんも僕も苦しいので大林林道(81km地点)に到着した時には、ここで補給と休憩を取りましょう。息を整え、態勢を整えて先へ行きましょう、と伝えた。

タイムは1:41。ほぼ目標どおりだ。

時刻は20:56 トータルタイムは15:26。
ちなみにアレキタイムは15:01。

こうやって振り返ってタイムを見るとまだまだ余裕だ。いや、余裕というか次の関門は大丈夫なはずだ。
だからこそさっきの会話ででんさんの心が折れてしまったのだとしたら本当に申し訳ないなと思う。

エイドに着いて、転んだあとの自分の状態や先ほどの不用意な会話のことなど、なんだかいろんな意味で僕は余裕がなくなっていた。

とりあえずロキソニンを飲んだ。
ここで少し態勢を立て直そうと思った。
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2018 信越五岳レポ(ペーサー編) その7

でんさんと一緒に笹ヶ峰を出た。
次のエイドはウォーターエイドの西登山道入口(76km)でここから13kmだ。でんさんのペース表では目標タイム1:40。

僕は、でんさんがやってきたら、身体の状態とか今までのこととか、いろいろお話しようと思っていたんだけど、でんさんはただ歩いているだけでも息が切れていた。
だから、あまり話しかけずになるべく大切なことだけ訊こうと思った。

でも、そんな息が切れているでんさんなのに、平らなところや下りの道になるとすぐに走り出した。
僕が走ろう!とか走る?とか言わなくても、でんさんは自ら走り出した。
上りになって歩いても、平坦や下りになって走っても、同じように息が切れていた。

そうか。そうやってこの63km地点までやって来たんだな、と思った。
常に先を見て、少しでも早く、少しでも遠くを目指してここまでやって来たんだな、と思った。
何とか完走したいな、完走しよう、と思った。

牧場の中を走ったり歩いたりして、そのままトレイルに入って、そこも走ったり歩いたりした。
相変わらずでんさんは平坦や下りはすぐさま走り出す。
僕に前を行ってほしいと言うので僕が先を走ったが、その主導権はでんさんにあった。
僕は前を行くけど、でも僕はでんさんに着いて行っただけだ。

僕はずっと身体が重くて路上で走れないのでトレミで走るようにしたんだけど所詮はトレミ。
1ミリも進まないあんなものに乗って自分が走れるようになっているかどうか不安だった。
結局、路上を走ることはほとんどせずにトレミだけで走っていたので、でんさんと一緒に走り出した瞬間に無理だと思ったらどうしようと思っていた。

でも、今、僕は走りながら、トレミって効果があるんだな、と思っていた。
今まで身体が邪魔で走っている感じがしないというか、走ると身体がバラバラになるような気がしていたけど、今日は僕の身体も一緒に走っていた。
もちろんそれは僕の身体だから驚異的な力を見せて走るとかそういうことではないけど、とにかく走れていた。

トレイルのコースを、歩いている人は当然抜いて、でんさんは相変わらず息は切れていてもスピードを緩めることもなく走った。
笹ヶ峰から3kmほど走ったところでトイレがあり、でんさんがトイレに行くと言うのでそこで少し待った。

笹ヶ峰から3km。66km地点だ。

3年前に僕が参加した信越五岳ではここ66km地点がペーサーとの合流地点だった。
夕闇迫るその場所で、僕は一人でその景色を眺めていた。

3年前、僕はネコさんの待つこの場所へやってきて、そしてこの場所からネコさんと一緒に先へ進んだ。

こんな感じでさ。
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この写真の風景を思い出しながら僕は思った。

今日のオレ、調子がいい

今度はでんさんと一緒にこの道を進んだ。

ダムの上を通り、この先に長い階段があるけど、そこを上ったらあとはゆるやかなトレイルが続くよ、とでんさんに伝えた。
でんさんは今日は全然上れないと言っていた。最初の山から全然上れないと。

階段を上り始めると、たしかにでんさんはとてもつらそうだった。周りのランナーもつらそうだったけど、でんさんはもっとつらそうだった。
それでも階段を上り終えて、トレイルが始まると何も言わずに走り出した。
もちろん歩いている人たちをきっちり抜いて、走り続けた。けっこう走れるトレイルが続いた。気が付くと走り続ける集団が列をなして走っていた。

僕たちもその集団の一部になり走り続けた。後ろを走るでんさんは相変わらず息が切れているのに、そのスピードは衰えなかった。
僕の前を走る人がその前の人に離されてきたので試しにその人を抜いてみると、でんさんも普通に抜き去ってきた。

なぜ、あの息苦しさで走り続けられるのか不思議だった。すげえな、でんさん、と思った。
そして、走れるのならこのまま走り続けてもらおうと思った。

上りが続くと、やはりつらいみたいで、その時は道を譲った。

3年前の僕は上りが好調で、その分、平坦な道は走れなかったと思う。
でんさんは上りは不調だけど、平坦な道と下りをきっちり走っている。

だからたぶん3年前の僕と同じくらいの時間で移動しているんじゃないかと思っていた。

そうすると笹ヶ峰の前の30分の渋滞分をどこで詰めるかということになる。
3年前の僕は瑪瑙山からの下りが信じられないほど遅かった。
とりあえずあそこは転げ落ちてもいいくらいのスピードで進まないとダメだな。

まぁ、とりあえずは今を考えよう。気持ちよく進めるうちは進んでおこう。

そんな感じででんさんの底力というかそういうものを背中に感じながら僕も気持ちよく走り続け、西登山道入口(76km)へ着いた。
そこではほとんど休まずに先へ進んだ。チラッとタイムを見ると1:48だった。目標より8分遅れていた。

8分遅れがどういう状況なのかはいまいちよくわからなかった。
3年前のコースではここにエイドはなかったので自分のタイムと比較ができなかったからだ。

なのでとくにこのタイムをでんさんに伝えることもなく先へ進んだ。

この時点では完走できるかどうかはわからなかったけど、戸隠の関門についてはとくに問題はないと思っていた。

それほどでんさんの魂の走りは素晴らしかった。
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とくになし(追記:いや、あった)

ちょっと息切れしてきたので今日はレポお休み。

信越から1週間経ったけど、ずっとランオフ。
この3連休も身体動かさずに終わりそうだ。
肋骨の状態はたぶん少しずつよくなっているんだろうと思われる。
動いていなければとくに痛みはない。
寝ているときは少し痛くて、寝返りをうつときが一番痛い。それは変わらず。
また、咳したり笑ったりすると痛いけど、それよりなによりくしゃみがすごい。
初めてくしゃみしたときには撃たれたのかと思った(笑)

あとなぜだか昨日から左ひざが痛くて、歩くと痛い。
これは信越関係なくて、ただの老化だと思う。
そんなわけでだらだらの3連休を過ごしている。

音楽聴いたりテレビ見たり。
そういえば昨日からずっとビートルズばかり聴いている。
普段は適当にシャッフルしているんだけど、たまに特定のミュージシャンだけ聴きたくなることあるよね。
で、ビートルズだけど、僕のiTunesには419曲入っているのよ。

たぶんだけどビートルズが1番多いだろうね。僕のiTunes。
これは前にも書いたけどビートルズマニアの友だちがいて、彼が貸してくれたからなんだけど、オリジナルアルバムに加えて、パストマスターズやアンソロジーもそうだけど、海賊盤みたいなものも何枚か貸してくれて、すごく親切な人なので、まだまだ聴いてみる?みたいな感じだったんだけど、このへんで勘弁してもらった。

で、その海賊盤はデモテープみたいなものを集めた感じで、いろんな曲のテイクいくつとかが入っている。
たとえばノルウェーの森なんかはテイク8くらいまである。

借りた当初は、いやいくらなんでもノルウェーの森8テイクもいらないよ、と思っていたんだけど、これが聴いてみるとなかなかおもしろい。
一つの曲ができあがるまでの過程がわかるわけでそれを聴いているのはおもしろいんだけど、でも、僕の人生ビートルズだけに捧げるわけにもいかないしとも思えるほどミクロの世界に入っていくことになるなぁ、と思った。
だからその世界に入っていけばラバーソウルのレコード5枚じゃ足りないわけだ。

ビートルズのリマスターのときだって雑誌に、今回のリマスターで今まで鮮明に聴こえなかった2分34秒あたりの音が聴こえるようになったことは収穫だ、みたいなことが書かれていて、はぁ?って思ったことあるし。

だからきっとマニアの人はこういうところで楽しんでいるんだろうなぁ、と思うし、その手間と情熱は素晴らしいと思うけど、興味ない人には理解してもらえないだろうなぁ、と思う。

そんなことを思いながらビートルズを聴いていたんだけど、それって同じだなと思って。
夜中に山の中を走り続けるとか歩き続けるとかマラソンで数秒タイムを縮めるために多くの時間を費やすとか、みんな同じだなと思った。
興味ない人には理解できないし、でも、みんな多かれ少なかれそういう世界に没頭していくのかな。

人間ってそういうことしないと生きていけないのかな。動物なんかはもっとシンプルだしな。だから人間は弱いのかな。

まぁ、よくわかんないな。

信越終えて数日は、久しぶりに味わった夜の山の中のことを思うと、現実の世界があまりにバカバカしいものに思えて、仕事しながらとかもなんだこの世界は?と思ったりもした。
あの夜の山の中を走り続けたことは本当に楽しかった。

でも、1週間も過ぎると、自分がペーサーとしてできたことはもっとあったはずだとそんなことを考えている。
あそこでとかあのときとかああすればとかこうすればとかレポを書こうと思い出しているからかもしれないけど、そんなことを考えている。

無責任な言い方かもしれないけど、でんさんにはできれば今後も完走を目指してほしいと思う。

それよりなによりハセツネどうしようかな。間に合うかな。

追記:今思い出したけど今日で24年。来年で25年かぁ。すげえなぁ。来年親は50年かな?これもすげえなぁ。
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2018 信越五岳レポ(ペーサー編) その6

今回の信越五岳にはあの鏑木毅が100マイルに参加していた。
僕がAM11時に笹ヶ峰に到着した時にはトップランナーはすでに通過したあとだったのだが、鏑木毅は調子が悪いのか楽しんで参加しているのかよくわからないけどAM11時時点でまだ笹ヶ峰を通過していなかった。

どうやら13時過ぎにくるらしいということで待機中のペーサーはザワザワしていた。
考えてみたらいろんな大会で見かけることはあってもランナーとしての鏑木毅を見たことはない。

でも、ほら、僕ってあれじゃないですか?有名人とか芸能人とかにいちいちザワザワしないクールなアレキを演出するタイプじゃないですか?
だから、鏑木?ふ~ん、みたいな、そういうった感じでいた。

鏑木毅が出るテレビは欠かさず録画して観たり、激走100マイルを読んで一人興奮したりとかってことはおくびにも出さずに、へ~13時過ぎにね、くるんだ、ってな感じで、ホントはトイレにすごく行きたかったけどそんなことはおくびにも出さずに何気なく鏑木待ちをしていた。

もうペーサー緊張からも早くトイレに行きたくて我慢できなくて、だから早く来いよ、鏑木、くらいに思ったりもしたけど、実際に来たら、実際にその姿を見たら、やっぱりオーラというか、かっこよかった。



そんなことをしているうちに、でんさんは次のチェックポイント黒姫(52km地点)にたどり着いた。
ここ笹ヶ峰の一つ前のチェックポイントだ。目標タイムは8:45。でんさんのタイムは8:56だった。時刻は14:26。

それをす~さん夫に言うと、3年前のアレキさんのタイムより少し遅いね、と言う。
そう、す~さん夫は僕のことクズとか言うけど、僕のブログが好きみたいで、とくにトレイルレポを何度も読んでいるので、ある意味僕より僕のことを詳しく知っているのだ。

調べてみると僕の3年前のタイムは8:52だった。

今までの緊張の度合いどころではなく、一気に動悸息切れには求心みたいな状況になってきた。

いいですか?3年前のアレキとほぼ同じタイムということは完走ギリギリのペースで走るということです。
そして3年前の完走ギリギリペースのアレキにはハンサムネコという絶対的なペーサーが付いていました。
今回のポンコツペーサーアレキとは違うのです。
さらにいえば、3年前のアレキと比べると今のアレキは圧倒的に走力が落ちるのです。
場合によっては、でんさんがペースを上げようとしてもアレキが付いていけずに完走できないという事態が発生することもあり得るのです。
今度は、でんさんが舌打ちをする番になるのです。
そんな状況にふわふわパンケーキ並みのメンタルしか持ち合わせていないアレキは耐えることができるのでしょうか?
また、そんな状況を打破する能力がアレキに備わっているのでしょうか?

そんなことをす~さん夫に訴えるも、す~さん夫は目も虚ろで全然話を聞いていなかった。
なぜなら稀に見るハイペースで、そろそろす~さんが笹ヶ峰にやってくる頃だからだ。
たぶん走る喜びに充実した笑顔を見せながら風のようにやってきて、休憩もそこそこに信越の山の中に消えて行くだろう。
そのあとを必死の形相でついていかなくてはならない、自分の状況を想像している、す~さん夫は僕の話を聞いている場合ではなかった。

僕より先に舌打ちをされるのはす~さん夫なのだ!

事実、す~さんは本当にそんな感じでやってきて、本当にそんな感じで去っていった。
やはり男前だ、す~さん。

そんなことを思っているとR2さんと奥さまがやってきたので、僕はさっきの、いいですか?からの言葉を今度はR2さんに訴えた。
あっ、そうだ、R2さんこの間一緒に山行ったときキレッキレだったじゃないですか?あれだ、ペーサーなんて記録もないし、完走とか関係ないから、あれだ、今からこのゼッケン付けて走ってくださいよ、と訴えるも、優しい笑顔でスルーされた。

訴えるの図。
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あきらめて行くしかないかと思っている図。
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でんさんをゴールまで連れて行く妙案というか、なんにも策とか思いつかないけど、どうしたらいいのか、また僕が着いて行けるのかすらよくわからないけど、準備を始めるうちになんだかだんだんと落ち着いてきて、コンタクトをして、靴の紐を結んでいるうちに動悸息切れが治まってきた。
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でんさんがやってくる予定はペース表では16:45。僕はたぶんこの靴を履いている時間に緊張がなくなり行くしかねえと思えるようになった。
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でも、リンさんがやって来たので、また甘えの精神で、いいですか?からのくだりとリンさん代わりにゼッケン付けて走ってよ、も話してみた。
リンさんは冷静に、でも3年前のアレキさんは66km走ってきたアレキさんで、今のアレキさんはフレッシュな脚の状態のアレキさんですよ、と仰る。
いや、リンさんわかってない。オレの体感的には66km走った3年前のアレキより、今のこのアレキのほうが走力は落ちる。

それじゃ・・・。

絶望的ですね。

・・・・・・。

・・・・・・の図。
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でんさんは笹ヶ峰到着16時45分を過ぎ、17時を過ぎてもやってこなかった。
やってくるランナーの情報をかき集めると、この手前に吊り橋があって一度に2人ずつしか渡れないのだが、そこで渋滞が発生しているとのことだった。

R2さんとリンさんはコースを逆走して様子を見に行った。
僕はドロップバックとかそういうのを用意して、自分もすぐに出られる状態にして、それで関門のマットのところで待っていた。
次々とやってくるランナーの話を聞いていると、吊り橋の渋滞は30分待ちくらいになっているとのこと。

でんさんの予定到着時刻は笹ヶ峰16:45。補給着替え等で17:00発だった。そしてここ笹ヶ峰の関門時刻は17:30だった。
前のチェックポイントを遅れてはいるものの関門には充分間に合うとは思っていたが、ここで30分の渋滞はなかなか厳しい。

ただ、それでも、でんさんはここまでやってくるだろうと思った。
ペーサーがいるというのはそういうことだ。
だから僕が何も仕事をしていなくても、僕がここにいるというだけで、仕事をしていることになる。

まぁ、これ自分に何度も言い聞かせていた言葉だ(笑)

で、とにかくでんさんはやってきた。きっちり走りながら僕の前に姿を現した。
ここに来る直前のコースは上りで、直前に平坦になるが、3年前の僕はここを走ることができなかった。

でんさんはきちんと走ってやってきた。

笹ヶ峰グリーンハウス(63km地点) 11:44  到着時刻 17:14

着替え、補給、時間がないので手早くやってもらう。
R2さん、奥さま、リンさん。こういうときってやっぱりこういう仲間の応援というか、こうやっていてくれる、話し相手がいるというだけで大きな力になると思う。
到着したときは表情が疲れ切っていたけど、この写真だと復活しているように見える。
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このあたりで、バスで話しかけられた女性が夫とともに出発するところで声をかけていただいた。
がんばって!と声をかけて力強く二人と握手をしたけど、旦那さんは誰だこいつ?と思ってたと思うけど、笑顔で応えてくれた。

本当は20分くらい休めるとよかったんだけど、何となく関門時間である17:30分よりは前に出たかったので出発。
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11:57 出発時刻17:27

さぁ、ここからは任せておけ!とまでは到底思えなかったけど、でも一緒にがんばろうぜ!と思った。
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2018 信越五岳レポ(ペーサー編) その5

今回、TRAIL SEARCHというものを使えば、でんさんの動向を伺うことができたので常にチェックしていた。
相方さんの100マイルの動向もチェックしておいてほしいというでんさんの依頼もあったのでその動向もチェックしていた。
相方さんはグングン順位をあげていき、かなり調子がよさそうだった。
本当はこんな人がペーサーの予定だったのに・・・。

でんさんが24km地点のバンフを通過したのがAM9:14。タイムで3:44。
ちなみにでんさんのペース表では3:45が目標だった。

雨は止み晴れてはいるものの、前日はけっこうな雨が降っていたことから決してトレイルの状態がいいわけでもないだろう。
そこをほぼ目標タイムどおりに通過しただけでなんだかうるっときた。

でんさんはたぶんいろいろ試行錯誤のうえにこのペース表を綿密に作り上げ、またそのペース表に基づいて自分をコントロールしながら山の中を走っているわけで、だから次の更新まではまだ時間があるのに、僕は何度もTRAIL SEARCHででんさんの通過タイム3:44という数字を眺めた。

11時過ぎに笹ヶ峰に到着して、さっそくす~さん夫に、やばいよ、でんさんがペースタイムどおりに走ってるよ、やばいよ、やばいよ、と報告すると、いやいや、なんでやばいの?と仰った。

たしかに(笑)

このペース表はわりとギリギリの時間で完走するペース設定になっているので、そのタイムがギリギリになればなるほどペーサーの重要度が増すというそういう意味でのやばいだが、本来的にはまぁ、がんばって走っているでんさんは決してやばくない。
いずれにせよ、僕の緊張感は増し、目は虚ろになってオロオロし始めた。

す~さん夫のリュック軽いね?オレの重いよ、やばいよ、ただでさえ身体が重いのにリュックも重いとかやばいよ、水分1リットルだけなのに何が重いんだ?これは軽量化を図るしかねぇ。

僕はリュックの荷物をバラバラとシートの上に出した。

レインウェアの下いる?でもこれほとんど重さないね。これか?このポイズンリムーバーいらないんじゃね?え?あっ、す~さん夫はいつだったか蜂に刺されたことあるもんね、必携だね。でもオレそもそもこれ一度も箱から出したことないし使い方もわかんないから持ってても無駄じゃね?もう5年以上前に買ったしいつもリュックに入れてるけど今初めて箱開けたよ。あれ?なんで安全カミソリなんて入ってるの?なんに使うのこれ?全然使い方わからねー、これやっぱいらなくね?だいたいナイトトレイルだよ?蜂って夜は寝てんじゃないの?

こんなやり取りをしていると近くに座っていたペーサー待機者の女性が苦笑しながらポイズンリムーバーを使ったことがあると仰るので、その場にいた数人の人たちと一緒にその女性からポイズンリムーバーの講習を受けた。

なるほど、ふむふむ。いるね、これはいるね。

そんな感じで緊張を紛らわすかのようにベラベラどうでもいいことを話し続け、一緒に待機しているペーサーの方々ともお話しして、オレね体重90kgにもなって全然走ってもないのに今回血迷ってペーサー引き受けちゃったら、今、ランナーはペースどおりに必死に走ってるから、こりゃ、一緒に走り出してみてオレ無理って簡単に言うわけにもいかないし、ホントに無理だと思ったら自ら足グネってやって捻挫でもしてリタイアする覚悟が必要だと思う、とか訳のわからないことを話していた。

でんさんが次のチェックポイントを通過した。

兼俣林道出口(39km)
6:11

目標タイムは6:15だ。AM11:45通過。

おぉぉぉぉぉ。でんさんすげえ、タイム上げてる。がんばってる、がんばってるぞ。

しかし、一瞬で寄せては返す波のようにそのことが巨大なプレッシャーとなり僕のもとへ押し返してきたからなのか、僕の口からは

「チッ、マジでやべえ」

としか出なかった。

そこをす~さん夫が聞き逃すはずもなく、アレキさん、今チッって言った?いや、前々から思ってたけど、アレキさんクズだね、でんさんが必死で走ってるのに舌打ちって、もうどうしようもないクズだよ、と言われた。

たしかに(笑)

す~さんはかなりのハイペースで走り続けているようで当初は63km地点のこの場所へやってくる頃にはヘロヘロになってくるだろう、というす~さん夫の思惑は外れそうで、覚醒した状態でノリノリの高揚状態でたどり着くんじゃないの?と僕が言うと、す~さん夫も目が虚ろになってきて、オレ置いてかれちゃうかな?やばいな、ここ来たらあいつのリュックの荷物整理するフリしてオレの荷物入れちゃうかな?なんなら石でも入れとくか、と半分真顔で仰るので、す~さん夫もクズだね?と言い合い、結局クズペーサー二人で傷をなめ合い続けた。

同じ場所で一緒に待っていた他のペーサーの方々は女性で皆さん旦那さんのペーサーをするらしく、ランナーとの走力を訊くと、みんな旦那さんのほうが上だと仰る。
え?じゃぁここにいるペーサーみんなランナーより走力が落ちるってこと?す~さん夫もそうだもんね?え?月間100kmしか走ってなくて初めてのナイトトレイルでペーサーやるんですか?

とにかく自分が安心できる材料を探し続けた。

その間もでんさんは必死に信越の山の中を走り続けていた。
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2018 信越五岳レポ(ペーサー編) その4

完走へ導くことなんてできなかったヘタレペーサーのレポを毎日応援していただきありがとうございます。
こんなタイミングで俺の45シリーズなんて怖くてぶっ込めないのでこのまま続けます。

23時前に寝たものの0時、1時45分、2時30分と目が覚めた。3時30分に起きて、ホテルのロビーに4時15分集合。雨は止んでいた。
僕の車で、でんさんと一緒に会場へ向かう。

なぜわざわざ僕の車でと書いたのかというと、レースで役に立てる自信などまったくなかったので、他のことで貢献するしかないからだ(笑)

スタート会場で朝食を摂り、でんさんはいろいろ準備があるので4:45頃に別れた。



でんさんからは事前にペース表をもらっていてその時間の管理を頼まれていた。

別れ際に僕は、あのペース表どおりにいけば完走間違いないけど、あのペース表はまだ余裕があるから、もしそれより遅れたとしても充分完走できるから、だからタイムはあくまで目安で、とにかく待ってるから、と伝えた。

その後に、す~さん夫妻もやってきて、僕とす~さん夫は二人でスタート時間を待った。
そういえばこのあたりでケーピンクキャットさんと会って、一緒に写真を撮ったけど、その後、ケーピンクキャットさんはどうしたのだろう?完走できたのかな?

とにかく朝5時半スタート。

走り出すランナーをコース脇で待ち構えて、す~さん、でんさんを見送り、最後のランナーまで声をかけると、応援の人々はゲレンデの急な坂道を数十メートル上り始める。
ゲレンデを上ったところもコースになっており、グルグル回ったランナーがそこを通るので、それまでにみんなそこまで上って応援するのだ。

もちろん僕も応援のためにす~さん夫と上るのだが、それとは別に今日の僕の調子をこのゲレンデの急登で確認しておきたかった。
それによって僕のペーサーとしての資質も確認できる。

たぶん100mもない坂道を上り終えて応援の列に並んだときに、朝5時半の雨上がりの標高1000mくらいのところだぜ?汗だくなのは僕だけだった(笑)

やばい、やばすぎる、と思った。

とにかく走ってくるランナーの応援をして、す~さん、でんさんの応援もして、3~4人、僕と同じような体型のランナーを見かけたが、これからあの体型で110km走るのかと思うと、彼らには好感しか持てなかったので、より一層の声援を送った。

そういえばランナーの一人が急にしゃがんで何かを拾って、す~さん夫に手渡した。

これ(笑)


ミヤマクワガタ。
踏まれず無事でよかったね。

応援も終わり、スタート会場まで戻り、しばらくす~さん夫に弱音愚痴を吐きまくり、どうしたらここから逃げられるのかを訴えつつ6時半頃に一旦別れた。

す~さん夫はこのまま7時発のバスに乗りペーサー合流地点の笹ヶ峰へ行く。
僕は翌日の閉会式の会場へ車を置きに行き、そこから9時発のバスに乗り笹ヶ峰へ行く。
どちらのバスも11時には笹ヶ峰に着く。す~さんは15時頃、でんさんは17時頃に笹ヶ峰へたどり着く予定だ。

つまりそれまで僕らは待機時間。長い、長すぎる待機時間。
まぁ、わかっていたことだし、それにす~さん夫がいるので退屈しなさそうだ。

閉会式会場の赤倉体育センターからバスに乗り、笹ヶ峰へ向かう。
途中で昼食等の買い物のためコンビニへ寄ってくれたり、途中のコースで少しだけランナーの応援をさせてくれたりして笹ヶ峰到着予定。

僕はコンビニへは行かずバスの中で待っていた。ドキドキしていた。
周りの人たちは知らない者同士でも同じペーサーとして話をし始めたりしていたけど、僕は誰とも話さない。

いや、そんなコミュニケーション能力があったらブログなんてやってない。
いや、仮にブログをやっていたとしてもそんなコミュニケーション能力があったらアメブロをやってる。
FC2なんて選ぶ人は常識的な社交性なんて持ち合わせていない。
ついでに言うと、ライブドアを選ぶ人は変人ばかり、あっ、いや、個性的な人ばかりだ。
はてブロってごめんよくわからない。まとめブログ?そのくらいの認識。

このくだりいるのかな。敵しか作らないじゃないか(笑)

そんなことを思いながらって思ってないけど、バスに揺られながらドキドキしていたら、隣に座っていた女性が話しかけてきた。
穏やかそうな優しそうな女性に話しかけられお話ししているとなんだか緊張がほぐれてきた。ありがたい。きっとブログなんてやっていないんだろう。

彼女は旦那さんのペーサーをやるんだそうだ。
トレイルレースには夫婦で参加して、そしていつも夫婦で一緒にゴールするんだそうだ。今回は彼女だけクリック合戦に敗れてしまったのでペーサーとして参加したらしい。

夫婦でトレイルレースに参加して夫婦で一緒にゴールするって、たしかに彼女のお人柄からはそういった雰囲気が漂っているのだが、僕にはかなり衝撃的だった。

僕が知ってる夫婦でトレイルランナーといえばみわっち夫妻で、みわっちさんの信越初参加レポなんてペーサー夫とケンカしまくってて、いや、あのレポはすごく秀逸で、僕は大好きなんだけど、でもそういう夫婦が僕の想像するトレイルランナー夫婦だったので驚いた。
みわっちさんの夫がみわっちさんと仲良くゴールする姿なんて想像できない(笑)

す~さん夫妻だっていつも男前な走りをするす~さんとそんなに男前な走りではないす~さん夫。これも想像できない(笑)

なのでそういった仲のよいトレイルランナー夫婦の話に心和まされ、僕の緊張感が和らいでいき、とても温かく穏やかな時間を過ごすことができてよかった。

そんな感じで笹ヶ峰に到着。まだ午前11時。

さぁ、でんさん、オレはここで待ってるぞ。
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2018 信越五岳レポ(ペーサー編) その3

レース前日、家を11時前に出て、車で現地へ向かった。
でんさんは電車で行くとのことで、さらには緊張でウエルカムパーティとかも出られるかわからないので会えたら会いましょうとのことだった。

一人車で高速道路を走りながら、今までのことを思い返していた。
まったく足りない練習量。足りすぎている体重。

7月はそこそこ山へ行ったものの8月は息切れしてほとんど走れず、信越までに一度はでんさんと一緒に山練したいと思っていて、8月18日に一緒にハセツネ試走をしたが、僕の状態は散々な出来で、不安を煽るだけになった。

ハセツネ試走のダメージも一週間抜けずランオフ。その翌週に、久しぶりにネコさんに会った。

ネコさんに信越ペーサーをする話はしていなかったけど、知っていたようで、僕に会い、僕の身体を見るなり、大丈夫?足ひっぱっちゃうんじゃないの?と一言だけ言って、その後はそのことに触れることはなかった。
ただ、飲み会では僕らが3年前に走った信越五岳の話をした。もう3年も前の話だからその話をお互いにすることは珍しい。

翌、日曜日。二日酔いで家で寝てた。
昨日のネコさんのことを考えていた。たいしたことは言わなかったけど、ネコさんが僕を見る表情から叱咤激励とまでは言わないけど、でもそういった感情をヒシヒシと感じることができたような気がする。

やっぱりネコさんはわかってるんだな。
どうしたらいいんだ?もう時間もない。カレンダーを見る。あと3週間か。あと3週間?あと3週間もあるのか。
ハセツネ試走のときに、でんさんがトレミで傾斜をつけて走っているって言ってたな。

トレミだと着地衝撃はないのかな。それに僕の近所は平坦な道しかないけどトレミなら傾斜つけられるから常に上り続ける道を走れるってことかな。

翌、月曜日。僕はスポーツジムへ行った。

トレッドミルアレキ略してトレキ誕生の瞬間である。


14時過ぎに受付会場へ着いた。
でんさんは会場にいたので会うことができた。お互いに緊張している。あっ、ここ和ますのオレの役目じゃねーか。

やべえよ、オレ無理だよ、あれなら早々にリタイアするから見捨てて先に行ってね、と身もふたもないようなことを言うと、私が引っ張って行くから大丈夫!と逆に励まされた(笑)

100マイルに参加される相方にもご挨拶をした。
その方もそうだけど、やっぱり100マイルに参加する人たちは全然人種が違う。体つきから目つきから110kmと100マイルの間にはかなり高い壁があるように思う。

ま、僕は110kmも無理だけど。

久しぶりにbgさんに会った。110kmに参加されるとのこと。相変わらず走り込んでおられるようだった。



ホテルへ行き、僕は部屋でペーサー合流地点に預ける荷物とかゴール地点に預ける荷物の仕分けをしなくてはいけないのだが、もう緊張で吐き気しかしねえ(笑)

とりあえずベッドでゴロゴロしながらTwitterを見ていたら、明日は丹後もあることに気づいた。
カブトムシさんがんばってほしいな、オレもがんばるよ、と思った。何年か前のチャレ富士で早々にリタイアして二人でコテージで話していたことを思い出した。

やっぱDNFはつらい。やるなら完走だ。
完走できないならできるまでやればいい。

信越五岳は僕にとって相性のいい大会のようで、前回参加したときは日に日に体調がよくなって長年悩まされていた踵の痛みも和らいでいった。
今回も状態はよかった。ただ単に練習不足、準備不足だった。

ウエルカムパーティは17時半からで、100マイルスタートは19時半だった。ちなみにパーティ会場の外がスタート地点。
でんさんは100マイルスタートを見送るのでその直前に会場へ向かうとのことだったので、僕は一人でパーティ会場へ向かった。
ホテルから会場まで1kmちょっとで、車で行こうと思ってたけど、歩いて行った。

何となく体を動かしたかったし、飲みたかったからだ(笑)
選手に比べれば緊張の度合いが違う。また2回目の参加ということもあり余裕もある。

前回は食材に群がる大量の人々に圧倒されて、またチームプレイにも阻まれて小松菜のおひたししか取ることができなかったけど、今回は心の余裕もあり、そうなると不思議なものでハンバーグとかもすぐに取れた。
っつーか、小松菜のおひたしが今回のメニューにはなかった。それはそれで残念だった。

最近体重を減らすためにご飯をあまり食べてなかったけど今日はいいだろうとご飯をモリモリ食べた。やっぱりご飯ておいしいな。

パーティ会場には知り合いもおらず、一人で黙々と食べながらビールを飲んでいたんだけど、そのうちに、す~さん夫妻がやってきた。
今回はす~さんが選手で、す~さん夫がペーサーだ。

いつだったか、選手より遅いペーサーなんて聞いたことがねぇって自分で記事に書いたけど、す~さん夫の顔を見た瞬間に、ここにもいた!と思った(笑)

今回、同じペーサーのす~さん夫とは長い時間一緒に過ごしたんだけど、もうこの人のおかげでいろんなことが救われた。
いや、ずっとくだらないことばかり言っているだけなんだけど、そのくだらないことに救われた。

す~さんも元気で、でんさんに、なんでこんな大切なレースのペーサーをアレキさんに選んだの?などと僕の前で訊いていて、それはそれで、でんさんの緊張もほぐれたのかもしれない。

雨がパラパラと降る中、19時半スタートの100マイルスタートを見送ってホテルへ戻った。
大浴場へ行く気にもならずに部屋のシャワーで済ませた。

明日の準備を終えてゴロゴロしていると、ラインがきた。

待ってたやつがやっときた。
ロボッチさんからだった。

3年前の信越でもロボッチさんからラインがきて、それが僕を励ましてくれた。
ロボッチさんとは全然連絡を取ってないし、なんならプチ消息不明状態だけど、でもきっと送ってくるだろうと、思っていた。

そんなわけでロボッチ元気みたいだよ。

明日、夜の山の中を走る自分をうまく想像できないままだけど、とりあえず23時前に寝た。
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2018 信越五岳レポ(ペーサー編) その2

信越五岳をエントリーしてペーサーをつけるかどうかを決めるまでに3週間くらい期間があったはずだと思った僕はとりあえず考えさせてくださいとメールを送った。

ペーサーの決定期日は7月上旬だということなので、あと3週間でとりあえずどれだけできるのか。

メールがきた翌日に5km走ってみた。

ホントに表現のしようがないくらいつらかった。
わずか5km、それもキロ7分切れない状態なのに、走るたびに暴れまわる脂肪や脳天まで響く着地衝撃。
これは通常のジョギングができる状態になるのにどのくらい時間がかかるのだろう?と思った。

そして、走った日はブログを更新しようと思った。
そもそもマラカテってそういうことだし、あとはでんさんにお知らせするため。

こいつホントにペーサー頼んでよかったのだろうか?って思ったりもするだろうから、走った内容なんかを読んでもらってそれを含めてホントに僕にペーサーを頼んでいいのか判断する材料にしてもらおうと思った。

まぁ、この5km走った時点では、でんさんのほうから断ってくれないか?と思ってたけど(笑)

その後、あまりの着地衝撃に普通の道路ではまずいなと思って脚に優しいウレタンのジョギングコースで走ることにした。
走ればブログも更新するし、それがいい循環にならないかなと期待していたけど、なかなか思うようにはならなかった。

6月12日に走り始めたのに6月は3日しか走らなかった。
思うように走れないとか思うように疲労が抜けないとかあの走ったときに感じる不快な身体の重さを味わいたくないとかすべて言い訳だけどそんな感じで、どうにもこうにもモチベーションもあがらない。

太ってどうしようもなくて初めて走り出した頃は、ただ単純に自分が走れることが嬉しくて、5km走れれば、すげえオレ5kmも走れるんだ?と思って走り続けることができたけど、今はこんなんじゃダメだ、無理だ、と思うばかりで、ホントはつべこべ言わずに走ればいいだけなんだけどね。

で、当初はロードをある程度走れるようになってから山へ行こうと思っていたんだけど、うまくいかないのでもう山へ行こうと思って、オクム練を開始した。
オクムロードとオクムトレイルを組み合わせたセット練。

ロードもろくに走れないのにいきなりなんだよ、と思ったけど、ほら、みんな大好きジャッキー・チェンとかロッキーとかだって、修行とか特訓のシーンがおもしろいじゃんね?
なんなら最後の戦うシーンなんて間延びしてるから早送りしちゃったりしてさ。もはや修行シーンのための映画だと言っても過言ではないよね。

奥武蔵って響きがまた修行っぽいしさ(笑)

で、そんなこんなですぐにペーサー決定期日はやってきて返事をしなければいけなくなったのだが、返事はでんさんのほうからやってきて、今回はペーサーをつけずに参加しようと思います、とのことだった。

たぶん、僕の今までの練習内容をブログで見て、こいつじゃダメだと判断したんだな、と思ったし、このままペーサーをやったら本当に迷惑をかけるかもしれないとも思ったし、でんさんのレースなんだから、でんさんがそう決めたんだからそれでいいんだと思って、わかりました、と返信した。

正直ホッとした自分がいた。

でも、そのあと、なんか悶々と考えてしまって、でんさんからのメールを何度も読んでみたんだけど、もちろん僕じゃ役不足だ、なんて言うはずはなく、でんさんは、思うように練習できない、ペーサーの待つ場所までたどり着ける自信がない、そうなるとペーサーに多大なる迷惑をかけてしまう、だから今回はペーサーをつけない、とあって、僕は当初、それはまあ僕を傷つけないための社交辞令的な文面だろうと思っていたんだけど、ひょっとしてこれ本当に言っているのかな?と思って、僕が不安なようにでんさんも不安で、本当に迷惑をかけてしまうと思っているのかな?と思い始めた。

考えてみれば僕も3年前、軽い気持ちでネコさんにペーサーを頼んだけど、どんどんプレッシャーが大きくなって不安になって、やっぱりネコさんに迷惑かけるだけだから断ろうと何度も考えたことがある。
でも、結果として、僕はネコさんに見たことのない景色を見させてもらった。

あっ、いや、僕がその景色を見せることができるとは思わないけど、でもこのままでんさんは一人で不安なままレースを迎えるのかな?と思った。

なので、翌日でんさんに、もうペーサー登録終わったかもしれないけど、完走を目指して走るんだよね?完走したいんだよね?私がペーサーとして役不足だと思っているのならそれでいいけど、私に気を遣ってペーサーやめるのなら、私は一緒に完走目指して走りたいし、また完走するでんさんを見てみたい、というようなメールを送った。

そんな感じで結局ペーサーをやることになった。

自分で自分の首をしめて、自ら逃げ場を閉じてしまったけど、とにかくもうやるしかない。

またあの景色を見に行こう、と思った。

もちろん、なんてことをしてしまったんだ、オレの馬鹿馬鹿馬鹿、とも思った(笑)

なんかいつまで経ってもレースまでたどり着かないので次回はレース前日から。
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2018 信越五岳レポ(ペーサー編) その1

今回はペーサーということもあり、レポを書くつもりはなかったけど、まぁペーサー編ということで、もしかしたら役に立つこともあるかもしれないし、まぁ、終わってしまえば楽しかったので、ちょろっと書いてみようかと思う。

6月の中旬頃、久しぶりにでんさんからメールがきた。

今年も懲りずにアレにエントリーしてしまいました

ってそんな文面だったので、僕はハセツネのことだと思った。
ハセツネエントリーは6月1日だったし、そもそも僕とでんさんはハセツネ同志だったからだ。
僕が初めてハセツネに参加したのが2013年。彼女もそれが初めてのハセツネだった。
偶然声をかけてもらえて、オオダワから日の出山まで一緒に歩いた。

僕はハセツネの洗礼を十分に受けていて、なんだこのレースは?ふざけんな、二度と出るか、クソッ、水くれ!とネガティブ思考全開だったのに、でんさんはとても楽しいと仰ってて本当に嬉しそうな顔をしながらサクサク歩いていた。ちょっとアレな人なのかな?とすら思った(笑)

これがその初めて会ったときのレポ。

で、その翌年2014年。
僕はサブ・さぶろうを掲げて練習を積み、万全の態勢で2回目のハセツネに臨んでいた。
レース序盤からさぶろうさんを意識して、さぶろうさんの位置を確認しているところを雑誌の写真に使われたりもした。

この真ん中で振り向いている写真、オレ。
141102IMG_2800.jpg

アップにするとこれ。
141102IMG_3372.jpg

この隣で一緒に振り向いているのがでんさんだ。
たまたまこの時に1年ぶりに会った。

18時間切りを目標に前半ずっとかなりのハイペースで進んでいたが、三頭山避難小屋で力尽きてしまい、さぶろうさんの幻覚のようなものまで見る始末で、ヘロヘロになって下山した。
もう目標もなくなった僕はこんな深夜の山奥をうろうろする理由を見つけられず、鞘口峠でリタイヤしようと思って、とりあえずそこでふて寝をしていると、でんさんがやってきて、でんさんもそこでリタイアするというので、ちょうどよかった、一緒にリタイアしようと言うと、アレキさんはまだいける、とにかく先へ行け、と言うので、先へ行き、そのまま完走することができた。
結局そのときのタイムが僕のハセツネPBだ。

これがそのときのレポ。

あのとき、あそこででんさんに会っていなければ、またでんさんが僕に声をかけていなければ、僕が完走できることはなかったわけで、僕はその時のことをずっと感謝していた。

そんなでんさんからのあのような文面だったので、ハセツネエントリーしたけど、アレキさんは?みたいなことだと思った。

ここで初めて言うけど、僕は今年も懲りずにハセツネエントリーした(笑)

しかし、そのメールには続きがあった。

今年は相方が100マイルに出るのでアレキさんにペーサーお願いできますか?

はて?なんの話だ?100マイル?ペーサー?ハセツネに100マイルもペーサーもない。
何を言っているのだろう?

しばらく考えて、なんとなく思いついたので返信した。

ペーサーってあれですか?信越ですか?それをあれですか?体重90kgの人間に頼みますか?

やはり信越だという。
僕が完走したのは3年前。でんさんは昨年、一昨年と参加しているのだが台風の影響で関門が早まったり、距離短縮となったりで110kmを完走はできていない。

もちろんそれはでんさんの実力うんぬんではなく自然現象なので仕方がないのだが、そういう意味では直近で110kmのレースが行われたのは僕が参加した3年前なわけで、そのレースをペーサー付き参加者最下位で完走した僕は最も直近の110kmのレースを完走した、まさに真の信越フィニッシャーという称号を与えられているわけだ。

いや、そんなのないけど。

まぁ、とにかく、でんさんは困っていてペーサーを僕に頼んだのだろう。
今こそ、あの2014年ハセツネの恩返しをするときではないか。ここでやらなくていつやるのだ。

しかし、僕は昨年のハセツネ以降、レースに出たことはない。しかもそのときも第一関門でDNFだ。完走したレースとなるといつのことだか思い出せない。
さらに今の僕の体重は90kgだ。マジで歩いていても苦しいのに、夜の山の中を走れるわけがない。
そして、もう一つ、相方が100マイルに出るので?

同時開催の信越100マイルに出るのだろうけど、本来のペーサー予定者は100マイルに出るような猛者だったということだ。
あれ?おかしくね?ペーサーがベンツから軽自動車になってね?いや、同じベンツに軽自動車のエンジン積み替えるようなもんじゃね?

いろいろと気になることはあるものの、僕はわりとそういう恩義というかそういうものは重んじるし、一応、信越ともなると3連休全部潰すことになるので、妻にも話をしてみた。もちろんハセツネのときの話もした。

妻は僕より義理堅い人間なので、それは行くしかないでしょう!とのことだった。

そうだな。そうだよな。もう何も言わず引き受けるようなことだ。よし。

僕はメールの返信をした。

考えさせてください。

(笑)
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信越の結果

93km地点の関門に1分半間に合わず関門アウトになりました。

応援していただいた皆さま、現地まで来ていただいたR2さんと奥さま、リンガンガーさん。

ありがとうございました。

なんだろう?ランナーの能力を最大限に引き出すというネコさんみたいなペーサーになれればもう少し違った結果になったんでしょうけど、まあ、見込みどおり役不足なペーサーでした。

申し訳なかったな。

レース中、ペーサーアレキのペーサーにネコさん頼めばよかったと思いました(笑)

個人的にはほぼ1年ぶりのレース、そしてほぼ1年ぶりのナイトトレイルでした。
この3ヶ月、準備不足ではあったものの久しぶりにこういう感覚を味わうことができて楽しかったです。

僕は17時半から0時までの30kmだけで、ナイトトレイル区間だったけど、ナイトトレイルってつまらねえけどおもしろいなあ、と改めて感じました。

それと今回トレミの効果をかなり感じることができました。
もっと早くジムに入会すればよかったと思うくらい。

なわけでこれからもトレッドミルアレキをよろしく!

関門まで2.2km、残り時間23分で選手が関門だけでも通りたいと仰るので、それだと走らないと間に合わないよ、と言って走り出しました。

上り基調の足がズブズブ沈む泥濘みの道を走り出しました。
途中でロードに出て残り1kmで残り時間10分。

道案内のスタッフにこの先の道を聞くとゆるやかな登りでウッドチップの道とのこと。

僕は後ろからやってくる選手にその情報を伝え、走り出しました。

って、ウッドチップが泥にまみれて見当たらねーし。
結局泥濘みか!と思いながらズブズブしながら走りました。

必死で上り続けると、道の先で案内をしていたスタッフの方があと500mだ、まだ間に合うぞ!と言いながら僕らを先導するように自ら走り出しました。

ぬかるんだ上り道を走るのはつらくてつらくてたまらないけどそのスタッフの方がずっと大声で声をかけてくれながら走り続けるので、僕は感激しながら走り続けました。

そんな感じで走り続け、まあ見た目は歩いてるような速さなんでしょうけど、関門のマットまでたどり着いたときには立っていられずにしゃがみ込みました。

マットの前に人が立っていてナイスランと声をかけてくれたので顔を見ると、そこに立っていたのは石川弘樹でした。

お疲れ様と声をかけてくれて、今回ペーサー合流前地点の箇所で30分待ちくらいの渋滞があったようで、そのことを詫びながら握手をしてくれました。

渋滞云々はトレイルレースにはつきものだからどうこうはないけど、関門に間に合わなかった者にまでこうやって声をかけてくれる石川弘樹はやっぱり器が違うな、と思いました。

あっ、怒られなかったです(笑)

そんなわけで、ホント僕を選んでくれた選手には大変申し訳なかったけど、最後まで諦めずに走れたことは、少なくともその部分に関してはよかったと思います。

こんな経験させてくれてありがとうございました。

ま、待機中の緊張感はもう当分味わいたくないけどね。

転んで肋骨を強く打ったのでしばらくはお休みしますが、またいつの日かトレッドミルアレキとしてお会いしましょう。
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信越五岳110kmスタートしました

信越五岳110kmは5時30分に無事にスタートしました。


昨日までは雨だったけどきちんと晴れてきました。


僕が参加した3年前は晴れでした。
ここ2年は天気がよくなかったのでよかったです。

昨日、す~さんに会って、アレキさんいるから晴れるかと思ったけど雨だね、と言ってました。

たしかに、僕は土砂降りのレースに参加したことがあまりありません。
晴れ男というほどでもないけど。

さらに、す~さんは僕がペーサーをする選手に、なんでこんな大切なレースにアレキさんをペーサーに選んだの?と仰ってました。

たしかに(笑)

そしたら、アレキさんはもってるから、と仰ってました。

そうなのかな。

だとしたらこの天気でもう許してほしい(笑)

今はペーサー待機中です。

出番は夕方かな。

こうしていると、3年前のネコさんの行動がわかって改めて感謝しかないなぁ。
そういえば何もお礼とかしてないなぁ。

今度お礼しよう。

ネコさんは頼りになるペーサーだったけど、僕は全く頼りにならない。

選手に、私が引っ張って行くから大丈夫!と励まされました(笑)

ドキドキするけど、なんだか楽しみでもある。
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行こうぜ、全開の胸で

青春ごっこを今も 続けながら旅の途中
ヘッドライトの光は 手前しか照らさない
真暗な道を走る 胸を高ぶらせ走る
目的地はないんだ 帰り道も忘れたよ


            『深夜高速』 フラワーカンパニーズ

フラワーカンパニーズはデビューした頃にテレビで見たことがある。
バンド名からサイケ的な音楽なのかと思ったけど、元気だけが取り柄のような音楽だったので気にもしなかった。

その後、2005年にTheピーズのライブをさいたま新都心へ観に行ったときに、その対バンで出てきたのがフラワーカンパニーズだった。

あ?まだやってたんだ?というのがその時の率直な感想だ。

ライブが始まり、だんだんと、なんだかこいつらすげえぞ、と思い始めていた。
MCがけっこう長くて、そこでいろいろなことをボソボソと話していた。

彼らは愛知の出身で、高校の同級生で組んだバンドで、プロデビューをした。
その後、メジャーレーベルから契約を打ち切られた彼らは好きな音楽を辞めるという選択肢はまったく思い浮かばなかったらしく、自分たちで全国のライブハウスとの出演交渉をして、自分たちで購入したバンに自分たちで機材を運び込み、自分たちで車を運転して、自分たちで全国を回り、自分たちでCDを作って、活動を続けた。

しかし、その自分たちだけで活動を始めてから出したCDによってジワジワと人気が出てきて、ちょうどそんな頃にこのライブを観た。
全国を地道に回って活動しているわけだから演奏から何から芯の太さというかある程度のことには動じない安定したライブを見せてくれた。

はっきり言って、この日のトリである僕の大好きなTheピーズは、完全にフラワーカンパニーズに喰われていた。

そのくらい凄まじかった。

いろいろMCを聴いていると昔の話とかするんだけど、なんか時代背景というかそういうのが僕と似ているのであとで調べてみたら彼らは僕と同じ歳だった。
だから余計に引き込まれたのかもしれない。

35歳過ぎてて、先のまったく見えない世界で、それでも4人が同じ方向を見続けて進み続けるってなかなかできることじゃない。

で、そのときにこの曲をやったんだけど、僕は音楽的才能がないので、初めて聴いた曲をいいと思うことはあまりなくて、さらにそれがライブで初めて聴いたとなると、ほとんどそんなこと思うことないんだけど、初めて鳥肌が立つというか、ザワザワして、次の日にこの曲が入っているニューアルバムを買いに行った。

歌詞がとてもまっすぐでまっすぐすぎて、あれなんだけど、そんな気恥ずかしさを吹き飛ばすような曲で、なんだか涙が出そうにすらなる。
まぁ、音楽ごときでは泣かないけどな。

で、彼らはやはりこの曲によって再びメジャーレーベルと契約をすることができて、日本武道館でのライブも行うことができた。
好きなことを諦めずに続けるってすごいことだと思う。

生きててよかった 生きててよかった 生きててよかった そんな夜を探してる
生きててよかった 生きててよかった 生きててよかった そんな夜はどこだ
いこうぜ いこうぜ 全開の胸で
いこうぜ いこうぜ 震わせていこうぜ


爆音で聴いてくれよ。



震わせて行くぜ!
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トレキ

おはようございます。トレッドミルアレキ、略してトレキです!

なんだ、それ。

昨日もトレッドミルアレキになってきた。
とりあえず歩きではなく走りたかったので傾斜4%でスピード7.2kmにしたら心拍が150くらいになったので、そのまま25分。
30分走ろうと思ってたので残り5分を傾斜9%でスピード7kmにしたら即座に心拍170を超えた(笑)

その後は傾斜12%でスピード5kmにしたら心拍150台だったのでそのまま歩きで30分、計1時間動いたところで終了。

心拍計って面白いな。心拍管理ならいろんなパターンで飽きないしいい練習になる。
ただ傾斜何%とかスピード何kmってなんなんだかさっぱりわからない。キロ何分だよ?とか何m上れるんだよ?とか思いながら走ってる。
だから余計心拍管理でいいのか。

それでも外を走るときには心拍計はつけないと思うな。
みんなきっと外だろうが中だろうが、早く走りたいとか強く走りたいとか長く走りたいとかそういう目的の下に練習しているんだろうから心拍計でもラダーでもなんでも使って効率的に練習するのがいいんだろう。

だけど。

しかし。

僕はただ風を感じながら走りたいだけ。

なんかかっこいいからもう一度言おう。

僕はただ風を感じながら走りたいだけ。何にも縛られずに自由を感じながら走りたいだけ。

ま、なので風のないトレッドミルアレキの時には練習マシーンと化してやるぜ。たぶん。

さらに体重が84.0kgを叩き出す
とりあえずこれで打ち上げ。週末までもう動かないと思う。

ここから少し正直な話をする。

自分でやろうと思ってたことの半分もできなかった。
この間の飲み会で久しぶりにネコさんに会ったときには大丈夫?足ひっぱっちゃうんじゃないの?ってたぶん呆れてたと思うけど、そうなんだよ。本当にひどい奴なんだよ、オレ。

今の自分の状態だけど、47km歩ける身体にはなった。まぁ、ハセツネコース47km歩けと言われたらちょっとやばいかな(笑)
47km歩ける状態にはなったけど47km走れる状態にはなっていない。平坦なロードでも休まず47km走り続けられないと思う。
だからペースコントロールしたりとか余裕を持って47km動き続けるとか制限時間うんぬんとかを気にして動くことは難しいと思う。

自分より走力が劣る体重90kgの人間に頼むようなことではないし、またそれを体重90kgの人間が引き受けるのもどうかと思う。
あまりに非効率的だし、あまりに無謀な気もしている。

それでもたぶん、他ではない何かを僕に感じたのかもしれないし、ただの思いつきかもしれないし、よくわからないけど、その意気込みに応えてみたいと思ったのも事実だ。
だから一度はひきかけたものを呼び戻したりとかさ。見てみたいとも思ったしさ。

だから僕は最初から全力で行く。ホントはそんなのダメなんだけど、最後までいけるかどうかわからないから、1分1秒でも長く先へ行きたいから、置いていかれないように最初から全力で行く。
それでもし途中で動けなくなったとしても、その動けなくなるまでは全力で行く。
だからその時は躊躇しなくてもいい。そこまではきちんと僕の役目を果たすからその先は躊躇しないで。

もちろんその動けなくなる場所が47km地点であればいいわけで、そうなればいいと思うし、そうするつもりなんだけどね。

だからとにかく、僕のところまでやってきて。
僕は待ってるから、ちゃんと僕のところまでやってきて。

ここ数日でワクワクしてきたのも事実。

そんなわけで週末は信越五岳に行ってきます。

ハセツネ同志のペーサーとして。


ってここまでで終わればかっこいいんだろうけど、弱音愚痴吐きまくりのネガティブキャンペーンアレキだからさ。
ホントは怖くて怖くて、やべえよ、オレきっと信越五岳史上最弱のペーサーだよ、って毎日ビビってるよ。
ランナーより遅いペーサーなんて聞いたことねえよって毎日ビビってるよ。
ランナーならともかくペーサーなのに石川弘樹に怒られたらどうしようって毎日ビビってるよ(笑)

でも、一応、ランナーが完走してペーサーがリタイアしてもランナーは完走扱いになるときちんと調べてるよ。
調べたうえで引き受けてるよ。悪いかよ(笑)

このペーサーのことをブログに書くかどうかすげえ迷ったよ。そうだよ、書けるかよ、こんな緊迫した話題。
この続きを書かなかったら、そこはもう察してくれよな。

でも、まぁ、一緒にゴールするさ、してやるさ。

みんな知らないと思うけどさ。オレ信越完走してるし(笑)

行こうぜ。あぁ、ドキドキ。
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トレッドミルアレキ

昨日はトレッドミルをやるためにトレッドミルアレキになってきた。
しかし、日曜のダメージから、トレッドミルアレキではなくトレッドミルアルキになってきた。

最近は走って数日は太もも裏になんか違和感が出るので、日曜は歩きだけど、やっぱり違和感が出るから、だから昨日はトレッドミルソットやってきた。

そういえば90kgから85kgに痩せたけど、走ったり歩いたり食事を減らしたりだけで痩せたので、その5kg分のほとんどは脚が痩せた。
太ももパッツンパッツンだったズボンも余裕になってきた。

しかし、上半身はとくに変わらず、立派なお腹と胸が鎮座している。
だから90kgのときより脚が細くなった分、体型的には今のほうがよりデブに見えるというおかしな現象が起きている。

ほら、運動不足で中年太りのおっさんて足が異様に細くて白くて、それでいて上半身がとんでもなく膨らんでいるって感じになってない?

まさにそれだ(笑)

せっかくスポーツジムに行くようになったのだから、筋トレとかやればいいのに、今のところそんな余裕はない。

トレッドミルアレキはわき目もふらずにトレッドミルに向かい、そのまま黙々と1時間動き、ひっそりと影のように去って行く。
トレッドミルアレキは地球の平和を守るヒーロー戦隊的な者なのだ。

よくわからないけどとにかくトレッドミルの器具以外にまだ触れたことすらない。

で、トレッドミルってホントに暇で全然時間は進まないし、距離も進まない。まぁ、一歩も先へ進むことはないもんな。
GPS時計とかも意味ないし、だから以前メタボ脱出のためにもらった心拍計をつけている。

なんつーか、心拍計を頼りに走っている人々と同じ種類の人間にはなれないと思っていたアレキだけど、これはすごい便利だ(笑)

トレッドミルつれ~、もうやめたい、と思っているときはだいたい心拍は170台で、このペースで動き続けることができるといいなぁ、と思っているときは150台で、もう今日は疲れた、これくらいでいいや、と思っているときが130台だ。

だから心拍に合わせ傾斜とスピードを組み合わせて1時間動く、ということをしている。
だいたい170台で30分動いて、残りの30分を150台で動ければ合格だ。

昨日はダメダメで常に130台でしか動けなかった。まぁ、1時間動けたからいいか。体重増加防止的な意味合いで。

足のダメージがかなりあるのでこれを抜きながら体重増加防止運動をして週末を迎えたいけど、うまくいくかはよくわからない。
そういえば昨日の夕飯は豆腐と納豆と鯖缶とヨーグルトだったよ。

う~ん、手遅れ感は満載だが、引き続き気持ち切らさず。
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奥武蔵ウロウロ

昨日はR2さんと一緒に山へ行った。

高麗駅集合。
ルートは子の権現へ向けて行けるところまでといういつものように曖昧な設定に対して、まったく気にすることのないR2さんは素敵だ(笑)

そしたらちょうど昨日はトレニックワールドin外秩父というトレイルレースが行われているらしく玲衣さんが参加しているので応援に行こうとR2さんが仰るのでそれにのる。

しかしそうなると僕が考えていた子の権現へ向けていけるところまでどころか、そこからさらにさらに遥かな道を進まないと、トレニックワールドのコースへはたどり着けない。

行けるかな?

そこはまあ、適当にエスケープということでとにかく朝6時スタート。

蒸し暑くて汗が止まらない。ずっと風呂上り。
上れない走れない。いつものようにR2さんをお待たせ。
久しぶりに岩に座ってそのまま岩と同化すればもう動かなくて済むなと一人オクムの山の中で考えた。
いやぁ、ホントに不安しかない。こんなんで大丈夫なんだろうか?

とりあえず子の権現までは行けたらと思っていたんだけど、もう僕のダメっぷりでそんな時間的余裕はなく、すぐに吾野駅へエスケープ。
駅近くに湧き水があって、生き返った。

西吾野駅スタートの上田瑠偉くんの関八州見晴台バーティカルのコースを行こうと話してて、しかしその手前の吾野駅でエスケープしてしまったのでロードで一駅分進まないといけなかったんだけど、ちょうど電車が来たので、電車で移動。
なんでもありになってくる(笑)

文明の利器を使用して大幅に時間短縮。
で、瑠偉くんの関八州見晴台バーティカル。距離は3.3kmしかないのにずっと上りっぱなしのきついコースらしい。
ま、そこはアレキとR2さん。見晴台まででなくその手前の高山不動尊まででいいよね?もちろん!ってな感じで上り短縮。

オレね、その前日に上田瑠偉くんの奥武蔵のDVDをじっくりと見たのよ。奥武蔵スリーピークスとこの関八州見晴台バーティカルのコースを走る上田瑠偉くんのDVDをね。
僕と上田瑠偉くんの何が違うのかを見極めてやろうと思ってさ、そのDVDをじっくり見たのよ。

いや、みんなは僕のことをどう思っているのか知らないけど、僕はわりと緻密なデータをもとに物事を解析するような理論派なのよ。理論派野郎なのよ。
本当はブログにだってグラフとか貼り付けたっていいんだよ。そういうことやる側の人間なんだってば。

北別府がボール半個分ずらして投げるみたいな、緻密で繊細な人間なのよ、アレキって。

だから何かヒントがそのDVDに隠されているに違いないと思って入念にそのDVDを見たね。

そしたらわかったのよ。もう、はは~ん、なるほどねって感じでさ。

上田瑠偉くんはまったく歩かないってことがわかった。
そこがアレキとは違う。むしろアレキはまったく走らないともいう。

そんな感じで関八州見晴台バーティカルコースをスタートするも、マジか?マジでここ走るのか?って終始思うようなコースで、こんなところずっと走る人間はハセツネコースキロ6分台で走るのも頷けるな、と妙に納得して、と同時にこのコースゆっくり歩きでもつらくて、もう終わりにしたくて、応援とかどうでもよくね?と思い始めていた。

上田瑠偉くんが23分で走ったコースをさらに高山不動尊までとコースを短縮したのに1時間もかかった。
その後は応援ポイントまで1ミリもトレイルには入らず、延々と林道を歩いた。

レースコースは林道とトレイルを交えているんだけど、僕らは頑なに林道を進みながらランナーに声をかけ、檥峠というところで落ち着いた。
そこで1時間ちょっと応援をしてた。

このトレイルレースは家庭的というかこじんまりとしていて、だからか僕らがコース上を歩いていてもどこにもスタッフの人は立っていたりとかしていなくて、たまにバイクで様子を見にくるくらいだった。

僕らが応援していた檥峠もトレイルから出て来てみんなコースがよくわからないみたいなので、このままロードですよ、とかって声をかけていた。

スタッフと間違われたのか、ここは何km地点ですか?とかここからは下りしかありませんか?とかこの峠はなんて読むんですか?と訊かれることもあったけど、よくわからなくて、その後に携帯で調べていた。

コース案内のスタッフが立っていないなんて、手厚い数のスタッフを誇る石川弘樹プロデュースのレースでは考えられないことだけど、これはこれでいいなぁ、と思う。

思い付きで応援に行ったので玲衣さんに会えるかどうかわからなかったけど会えたのでよかった。

それにしても脚にまだ力が残っている人からヘロヘロの人まで応援していたけど、人が走ってる姿を応援するのは楽しいなぁ(笑)

そんな感じで、電車乗ったり、応援で1時間くらい休んだりとあったけど、トータルで30kmくらい、時間にして8時間の奥武蔵ウロウロ練習をした。

とりあえずこれで終了だけど、やっぱ難しいよなぁ。ここまで自分で考えたことの半分もできなかった。
身体も気持ちも老化には勝てない。

それでもあとは気持ちだけ。気持ちはもち続けていこう。

とにかく直前だけど8時間体を動かす練習ができたことはよかった。
いつもいつも優しく付き合ってくれてありがとうR2さん。
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俺の45 その6

20位
遊佐未森 『僕の森』

19歳の頃、半年くらい工場でアルバイトしていた時があって、プレハブ小屋でできた個人でやっている町工場みたいなところで、中には10mくらいの長さの窯があって、その窯の温度は70度に設定してあって、車のスポイラーを塗装してその窯に流すんだけど、その工場クーラーないから、まぁ、とにかく暑くて夏の日向の外のほうが断然涼しいし、だから塩舐めたりしないといけなくて、塗料の臭いとかもすごいし、毎日そこで19時くらいまで働いて、土曜日も17時まで働いて、日曜日だけが休みだから、何もする気にならなくて、誰とも会う気にならなくて、ただただ寝てた。

そんなときにこの遊佐未森を聴いていて、日曜日に寝ながら遊佐未森を聴いていた。
遊佐未森の歌に『日曜日』という歌があって「また一人の日曜日 鳥の声が眠り誘うよ」って歌詞があって、あれ?オレじゃん、とか思って、そのうちに日曜日に一日中寝ていると月曜日の仕事が死ぬほどきつくなるということに気づいて、それから日曜日の午後は何の用事もないのにバスに乗って街へ出るようになった。

僕が住んでいた街の駅の近くには数百メートルのけっこう賑やかな商店街というかショッピングモールというか、まぁ、そういうのがあって、そこをなんのあてもなく何往復かして、それで家に帰るという生活をしていた。

たくさんの人が歩いていて、その中をただただ歩いていた。
何をしたかったんだろう?誰かに会いたかったのか、雑踏の中に身を置きたかったのか、ただ歩くだけだったら家の近所に河川敷があったのにな。

そんな頃に聴いていた遊佐未森の歌で一番好きな歌。

その後はまったく聴いてなかったんだけど10年くらい前にまた聴き出して、その後に出ていたアルバムも全部揃えた。
歌手ですね、この人は。歌声が、歌がすべて。

19位
原田知世 『ロマンス』

原田知世とか深津絵里とかを嫌いという男性をあまり見かけないんだけど、ここだけの話、原田知世ってどうも好きにはなれなくて、それはあの時をかける少女のときの原田知世の髪型がヘルメットみたいだったからなんだけど、だからあまり気にしたことはなかった。
バブルみたいなことも僕には関係なかったから私をスキーに連れてっても観たことないし。おまえ、それで私をサブ4に連れてってとか言ってたのか?そうなのか?と思われるかもしれないけどさ。

じゃ、なぜ原田知世?ってことなんだけど、1990年代にスウェーデンポップってのが流行ったときがあって、カーディガンズとかクラウドベリージャムとか。
そんでそのスウェーデンポップの仕掛け人というかそういうのにトーレ・ヨハンソンという人がいて、なぜかその人が原田知世をプロディースするということになって、それで興味を持って原田知世を聴いてみたら、歌声がよくてそれから聴くようになった。

で、この曲はそのトーレ・ヨハンソンがプロデュースしたときのシングル曲のタイトルなんだけど、このランキングに入った曲はそのときのシングルの曲ではなくて、後にセルフカバーしたときの曲で、今回ユーチューブで探したけどそのバージョンの曲は見つからなかった。

1999年に『a day of my life』というアルバムを出していて、これはたぶん原田知世唯一のセルフプロデュースアルバムで、このアルバムがとても秀逸で、これに入っているバージョンの『ロマンス』がトーレ・ヨハンソンプロデュースの『ロマンス』よりも断然いい。

この『a day of my life』には原田知世が自分で作曲した曲も何曲か入っていて、メロディも歌詞の乗せ方なんかも、素人が作った感じ丸出しで、最初はちょっとこっちも気恥ずかしくなるのだが、なぜかそれが聴けば聴くほどよくなってくる。

手作り感が奇跡的にいい感じを醸し出しているアルバム。

18位
佐野元春 『ハッピーマン』

音楽を聴くようになった頃、僕はいわゆるロックというものが好きではなかった。
僕が思うロックとは、革ジャンに革のパンツにリーゼントにサングラスで、そんで、オレのかわいいメス猫よぉ~♪(注:歌詞は適当に作った)とかって歌っている人たちがロックだと思っていたので、全然かっこいいと思えなかった。世良公則とかだって演歌にしか聴こえなかった。

でもロックってそうじゃないんだよというか、もっと普通の少年少女が聴けるような洗練されたロックというものを教えてくれたのが佐野元春だと思う。

ま、あれですよ、曲のいくつかや彼のその当時のライブの構成やステージでの動きなんかは、ブルース・スプリングスティーンそのものだったりとか、その後のカフェ・ボヘミアあたりのまんまスタイル・カウンシルじゃん?みたいなことはあるんだけど、でもそういったものを翻訳して邦楽として紹介してくれたような人なんだと思う。

僕が一番最初に熱心に聴き続けたアーティストということになると思う。

で、彼の曲にはたくさん思い入れのある曲があるんだけど、長くなるし簡単に言うと、僕の根源は、仕事も適当にみんなの待ってる店までハリーアップハリーアップで、ただのスクラップにはなりたくないんだってことなので、この曲だねってことになる。

これ観に行ったな。この当時はすでにそれほど熱心に聴いていたわけではなかったんだけど、それでも圧巻のライブだった。


17位
斉藤和義 『歌うたいのバラッド』

なんか気になるけど、それが好きなのか嫌いなのかよくわからないという人っていませんか?
それがこの人で、なので最近になってようやくきちんと聴いてみた。
結果、この曲がずば抜けてよかった。

16位
小島麻由美 『やられちゃった女の子』

僕の中では小島麻由美は「天才」の一言に尽きる。
歌詞も歌声もメロディも音もアレンジもすべてにおいて天才だと思う。
とくにこの曲が入っている3rdアルバム『さよならセシル』から5枚目くらいまではまったく隙がないアルバムばかりだ。

最近はあまり車の中で音楽は聴かないんだけど、車の中で音楽を聴くときは僕の選曲になる。
だから同乗していれば家族も同じ音楽を聴かされることになる。
で、僕は小島麻由美を聴くたびにすげえなぁ、こいつ天才だよなぁと言う。

そうすると妻は、私はこの人嫌いという。
でも、僕は気にせず小島麻由美を聴く。そもそも小島麻由美に限らず、僕と妻は音楽的嗜好がまったくかみ合わないからだ。

で、いつだったか忘れたけど同じようなやり取りをしたときに、その先の質問をしてみた。
なんで小島麻由美を嫌いなの?と。

そしたら妻は、天才だから嫌い、と言っていた。

よくわからない。禅か?禅なのか?
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にわとりとたまご

痩せるために走るのか、走るために痩せるのか。

走り始めたとき、体重が85kgになったことでやばいと思って走り始めた。
走るようになるとその身体の重さに膝が悲鳴を上げた。

そんな頃に誰かのブログで、痩せるために走るのはいいが、あまりに身体が重い状態であればまずはウォーキングをして体重を落としてから走ることをお勧めする、そうすると故障しないみたいなことが書かれていて、え~、もっと早く知ればよかったと思った。

でも、もう走り始めちゃったから、今さらウォーキングもかったるいしということで走っていた。

でも、でも、ブログを初めていろんな人とブログ上で知り合いになって、すごい痩せててすごい走ってる新横の雅さんが走りとは別に月間300kmくらい歩いていると訊いて、走ってても歩くことは重要なことなんだと知った。

でも月間300km走ったこともないのにさらに歩きで300kmとか無理に決まってる。つーか歩きと走りの月間走行距離が車か!
まあでも走っているといろいろ脚のどこかが痛くなったりするので、僕もリュックを買って帰宅徒歩とかを取り入れたりしてみたことがある。

新横の雅さん元気かなぁ。

で、今年の1月。
その走り始めた動機となる体重85kgをさらに越え、人生最大の重さである90.2kgになった僕は、やばいと思い走ろうとした。

しかし、わかったことがある。
僕にとって体重90kgというのは走れる重さではない。着地の度に足がアスファルトに沈んでいきそうだった。
そんなわけで会社から一つ先の駅まで歩いた。4kmくらい。

しかし、わかったことがある。
4km歩いたところでまったく痩せない。歩いたくらいでは痩せないのだ。

そんな感じで日々は無常に過ぎていき、5月1日には90.7kgとPB更新してしまった。
でもまぁなんだか体重90kgにも慣れてきたし、走ったりしなければ、レースに出なければ、別に日常生活にはとくに支障もないような気がしてきた。

きつかったズボンも友だちのユニクロの感動パンツいいですよ、とのアドバイスにより購入してみると、ホント驚くほどズボンがびよ~んと伸びるので、快適なズボンライフを送ることができるようになった。

しかし、6月中旬頃にやはりどうしても痩せないとならない事情ができて、とにかく痩せようと思いたった。
身体が重くて走れないけど、歩いても痩せないので山へ行くようにしたけど、でもやっぱり山もなかなか痩せない。

山って言っても歩きだし。それもハイキングスピードだし。

やっぱり走れないとだめだ。そのためには痩せないとだめだ。そのためには走れないとだめだ。そのためには痩せ~以下無限。

そんなわけで先週から、なんとアレキはスポーツジムへ行きだした。
トレッドミルなら着地衝撃がないから走れるもんね!そして見渡す限りの平地に住んでいるけどトレッドミルなら傾斜もつけられるもんね!

まだ4回しか行ってないけど、トレッドミルってやっぱつれーわ。
汗が延々止まらない。風が吹いてこない。どこにも進めない。

傾斜9%にして30分走ろうと思うんだけど、そのスピードが6kmで、しばらくつれーわとか思いながら走ってみたけど、スピード6kmってことはキロ6分じゃなくてキロ10分じゃねーか、と気づいて愕然とした。

もう、悲しくて、悲しくて、帰り道探した。

気を取り直して60分動き続けようと決めた。
そんなわけで走ったり歩いたり傾斜3~12%の間で1時間動き続けるとだいたい6km進んだことになる。

1時間で6kmって・・・。地面を走るより進んでないように感じる。

まぁ、とにかく今はトレッドミルアレキとなり、体重を落としたうえで、早くきちんと路面を自力走行できるようになりたい。
停電の日に試しにというか成り行きで路面走行してみたが胸が揺れて腹が突き出て走りづらかった。

それでも今は体重85kgになった。

まぁ、85kgも決して走れる重さではない。
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さよなら、かえる

一昨日のこと。

22時前に停電になった。
とくに台風とか地震とかの災害ではなく、停電だけが不意にやってきた。
この街に住んで16年。今までそんな意味もなく停電ってちょっと記憶にないのだが先月も停電があった。
何か自然災害的なものが影響しているとは思えないようなところで停電だけがひっそりと突然やってくる。
配電盤が死んだとか言ってたのは何だっけ?
まぁ、そんな感じだ。

災害に遭われた方々に比べれば停電の一つや二つどうってことないが、やはり現代文明に冒された人間なので不便でならない。
おまけにその日は蒸し暑くて、ジッとしていると汗が流れてくる。何もすることないから寝ようとしたけど暑くて寝られない。

それにしてもなんで停電なんだろう?この街が消滅可能性都市だから、そういったものから見放されるようになっているのだろうか?
ジッとしてらんないので、ちょうど本日届いたジェントスの手持ちのライトを試してみようと思い、散歩へ出かけた。
暗闇の中、外へ出た。あ~、なんかワクワクする。少し目が慣れると空は明るい。

そのまま少し歩くと、どうやら停電の箇所は僕の近所のみで局地的な停電だった。先月の停電もそうだった。
なぜ、僕の住んでいる地区だけを狙い撃ちしたかのように停電がやってくるのだろう?

やはり消滅可能性都市であるこの街で、70歳以上の老人が世帯数を超える勢いの消滅可能性地区であるこの地区はライフラインに見放されつつあるのかもしれない。
最近は地区の役員は高齢者にはしんどいので今までのような順番ではなく若い奴らでやればいいという意見が蔓延している。

ああ、なんだかうんざりしたので、また復旧の見込みも立っていないようなので、散歩から帰るとそのまま着替えて外へ出た。

外で涼んでいる消滅可能性地区の高齢者の方々に優しい笑顔付きで挨拶をして、そのまま僕は走り出した。

そういえば継続的に走っている女性で巨乳のランナーというのを見たことがない。
走り続けていると女性の胸はどんどん小さくなっていくのだろうか?それは消滅可能性都市のようなものなんだろうか?

なぜ女性ランナーの胸が気になったのかというと、僕の胸がすごく揺れてとても走りにくいからだ。
たぶんその辺の女性ランナーには絶対に負けない自信があるほどの立派な胸がある。

それでもそれが僕の身体なのだ。仕方がない。

突き出る胸とお腹に苦しみながらも走り続けた。どうせ家に帰ってもやることはない。それに最近夜はご飯少なめにしていたのに、今日は少し食べ過ぎたようだ。

そんな感じでタラタラと10km走った。がんばって走ろうと思っても10kmだと思うとちょっとげんなりした。
家に帰ると電気は生き返っていた。

一昨日食べ過ぎたので昨日の夕飯はきゅうり一本となし一個だった。オレ、虫かよ、と思った。

このなし食べて元気出せって
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俺の45 その5

25位
THE BOOM 『ダーリン』

20歳のときにバンドを組んで、どんな曲をコピーしようってなって、みんな楽器を初めて手にするから、やっぱパンクだな、ってなって、でもちょっとやったら飽きて、そんでその頃、僕はスペシャルズとかマッドネスとかスカというジャンルの音楽をよく聴いていたので、スカをやりたいなと思っていた。
でもスカって大抵ホーンセクションもあるし、ボーカルは日本語がいいいと言うし、ホーンセクションがなくて日本語の、そんな都合のいいバンドあるかよ、と思ったら、あった。

ブームの最初の2枚のアルバムはほぼスカのリズムの曲しかないから、だいたいコピーして、ッチャ、ッチャってリズムが楽しかったなぁ。
ブームのギターの人がッチャのッが楽譜的には3連2拍目なんだけど本当はちょっとずれるって言っていて、その意味がまったくわからなかったけど、たしかにッのリズムは難しかった。

ブームはベースラインもすごく楽しくて、ベースってわりと地味な楽器だけどブームのベースラインは弾いてみたいと思えて、だからブームのコピーをしてるときはベースの人が羨ましかった(笑)

で、この曲はとても地味な曲でコピーしているときはもっとノリのいい曲が好きだったんだけど、今になってみるとこの曲のギターのフレーズが好きで、もう10年以上ギターに触ってないけど、いつかおじいちゃんになったらこのフレーズをゆったりと弾いていたいな、と思う曲。

24位
BO GUMBOS 『トンネルぬけて』


ボ・ガンボス。

ボ・ガンボスのボーカル、どんとはこのバンドの前にローザ・ルクセンブルグというバンドをやっていて、それを初めて見たときには度肝を抜かれたけど、そのバンドを解散して、ボ・ガンボスを初めたときにも度肝を抜かれた。髪の毛緑色とかになってるしさ。

ニューオリンズの音楽をベースにした音楽で、この頃、僕はブルースとか、それこそこのバンド名にもなっているボ・ディドリーとかも聴いていたので、ニューオリンズ最高ってな具合だった。
ボ・ガンボスの他にもプライベーツってバンドもニューオリンズの音楽をベースにしてたから流行ってたのかな?ニューオリンズ。

23位
THE BLUE HEARTS 『終わらない歌』

1985年ごろ、インディーズレーベルのレコードとかマイナーなバンドの音源って手に入れるのが難しくて、今のように普通のレコード屋さんにインディーズレーベルのCDは置いてなくて、西新宿の雑居ビルとかに行かなくてはならなくて、まぁ、そこへ行くのも当時埼玉の田舎の普通の高校生だった僕にしてみれば冒険なわけで、怖そうな人とかいるしさ。
あとは誰が元の曲を持っていたのかもわからないくらいダビングにダビングを重ねたカセットテープとかで音源を手に入れていた。

で、ブルーハーツはデビュー直前までほとんど音源なんて発表していなくて、たしかオムニバスで2曲くらいかな。
僕はその曲すら聞いたことがなくて、それなのに、なんだかすげえバンドがいる、とみんなが口々に言うようなバンドで、誰も音源聴いたことないのに、とにかくすげえらしいよ、と言われていた。

なんかいい時代だ(笑)

でも、そんなときにテレビ埼玉はすごくて、そういうバンドのPVを流したりするんだよね。
これの前のローザ・ルクセンブルグもあとラフィンノーズなんかもテレビ埼玉で初めて映像を観た。すげえぞ、テレ玉!

テレ玉の何がすごいってそういうマイナーなバンドを紹介する番組の司会も上野さんだからね。
何から何まで上野さんだ。

って埼玉県人しかわからないか。

で、ブルーハーツのハンマーって曲をテレ玉で初めて聴いた。
その後、インディーズから出たシングルを買って、メジャーデビューアルバムも発売日に買いに行った。アルバムジャケットが段ボールみたいな素材でできてたんじゃないかと思う。探せばまだあると思う。レコード。

デビューライブが日比谷野音だったんだけど、それも観に行って、ただ、その日比谷野音の鉄柵だらけの変わり果てた姿を見て、なんだか僕のパンクロックは終わったような気がする。

だからブルーハーツは僕の中ではパンクの終わりみたいな感じ。タイミング的には。

でも、終わらない歌だから。

22位
Blankey Jet City 『冬のセーター』

イカ天で見てはいたけど、改めて衝撃的だった。音も歌詞も。
働き始めたばかりで毎朝満員電車の中で聴いてたなぁ。
一日の始まりにふさわしい音楽かはわからないけど。

21位
渡辺美里 『すき』

なぜに渡辺美里。

たしかこの人デビューした時10代だよね?
デビューアルバムは聴いてて、その後、パンクロックを好きになってからはまぁ、当然、こんなやわな音楽聴けるかよ、何がマイレボリューションだよ、こっちはノーフューチャーだぜ、って思っていたんだけど、たしかこの曲が入ったアルバムは僕が19歳の頃に出ていたと思う。

その当時、好きだった女の子に、誰かと行く予定だったんだけどその人が行けなくなったので、代わりにどう?と渡辺美里の東京ドームのコンサートに誘われて、渡辺美里聴く?好き?みたいなこと訊かれて、うん、聴く聴く!好き好き!みたいなことで、このアルバムはよく聴いた(笑)

それまでライブといえばピョンピョン跳ねて、汗だくになるようなものだったのに、みんなジッと立ったままずっと手拍子してて、僕もそれに倣って手拍子してたけど、手が痛くて痛くて、なんでこんなずっと手拍子?と思いながらも幸せな時間を過ごしていたと思う。
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俺の45 その4

30位
ROSSO 『星のメロディー』

ブランキージェットシティの照井利幸とミッシェルガンエレファントのチバユウスケが組んだバンド。
この当時、ブランキーはすでに解散していたけどミッシェルはまだ解散していなかった。

ブランキーもミッシェルもそうだけどバンドが成熟してくるとなぜだか音楽雑誌の記事で解散か?みたいな記事が書かれるようになり、とくにロッキングオンジャパンがそうなんだけど、え?なんで解散?とか思いながら読んでいるんだけど、本当にその数年後には解散してしまう。

ブランキーの場合は「ロメオの心臓」が発売されたときのインタビューがあまりに悲し過ぎて、これは近い将来に解散するだろうと思っていたけど、ミッシェルガンエレファントはそんな雰囲気はなかったし、いいアルバムができてるし、なんでいつもいつもこのアルバムが最後になるかもみたいな記事を書くんだろう?と思っていた。とくにロッキングオン。

それは雑誌記者がそういう微妙な雰囲気を感じ取って記事にしていたからなのか、それとも大袈裟な表題でネタ作りのために書かれたものが、ただの噂だったのにそれが大きくなって真実へと移行してしまうのかよくわからないけど、とにかくこの頃のミッシェルの記事はアルバムが出れば、これが最後のアルバムになるのか?みたいなものばかりで、ほんとロッキングオンってダメだなとか思っていた。

で、まだミッシェルをやっているけど、こうやって新しいバンドを始めれば、やっぱりそうか?みたいになるし、またこのアルバムがとてもよかったことからそうなるんだろうけど、でもやっぱりそんなことどうでもよくないかな?そっとしておけよ、ってなことを思っていた。

おまえなめてるだろう、と言いたくなった浅井健一の気持ちもわからなくはない。

29位
The Roosters 『どうしようもない恋の唄』

1985年頃に日本のパンクロックムーブメントみたいなものがあって、僕はその当時そういった音楽を好んで聴いていたんだけど、その時点でもうすでにベテラン的なものは聴いていなかった。
スターリンとかスタークラブとか町田町蔵のINUとかアナーキーとか、そしてこのルースターズも。

ルースターズはその当時に聴いたことあるんだけど、すでに大江慎也は抜けていて微妙なニューウェーブみたいな音楽だったので、これはハズレだな、と思っていた。

その後、僕は古臭い洋楽を聴くようになり、バンドを始めた20歳のときにまた邦楽を聴くようになった。
そんなときに初期のルースターズを聴いてぶっ飛んだ。

歌詞がすごいし、大江慎也の歌声がすごいかっこいい。
これ1980年にリリースされて当然メジャーレーベルからなんだけど、サビの歌詞が「一人であれを」だからね。
すごいよ。



28位
EGO-WRAPPIN' 『くちばしにチェリー』

永瀬正敏が好きで、それはたぶんジム・ジャームッシュの「ミステリー・トレイン」からだと思うんだけど、それ以降、彼が出る映画は見ていて、テレビにはほとんど出ない俳優なんだけど、なぜだかテレビドラマ版『私立探偵濱マイク』が始まって、2002年頃かなぁ。新しい時代の始まりだくらいに思って、感動しながら毎週見ていた。視聴率はかなりひどくていつ打ち切りになるかと言われていたらしいけど。

このドラマは一話完結で、その都度担当する監督が代わるんだけど、その当時、邦画は壊滅的な状況で、その後の邦画の復興みたいなときに活躍した監督とか俳優とかが参加しているので、なんというか前夜的な雰囲気というか、あと中村達也とかSIONとかミュージシャンも出演したりとか、DVD版には入っていないんだけどテレビではストゥージーズとかけっこうかっいい曲も流れてたりとかして、すごく楽しいドラマだった。浅野忠信が出た回とか凄まじかった。

そのドラマの主題歌がこの曲で、これもすごい曲だよな。

27位
ECHOES 『SOMEONE LIKE YOU』

エコーズについてはいつか機会があったら1話で書いてみたいと思っているんだけどどうかな。
ごく簡単に言うとエコーズは好きだけど辻仁成は嫌いみたいなこと。

26位
COBRA 『カ・ガ・ヤ・ケ』

1990年にラフィン・ノーズを脱退したポンとナオキが盟友ヨースコーと始めたバンド。
ってこんな説明でマラカテの人たちにわかるはずもないのか・・・。
ジャンル的にはoi パンクってやつでどんなジャンルかと簡単に説明するとoi oi って言ってればいい感じ(笑)

今でも信じられないけど、このバンドが日本武道館まで登りつめるわけで、そう考えると時代ってすごいな、と思う。
コブラにはたくさんいい曲があって、僕も自分でやってたバンドで何曲かコピーしたけど、この曲はすごくいい曲というほどでもなくて、バンドでもコピーはしなかった。

真っ直ぐなほど、愚直なほどの応援ソングで、僕は捻くれているからそういった応援ソングは好きではないんだけど、なんでだかこの曲は許せる、そして聴いてしまう、そしてがんばろうと思う、という曲だ。

どいつもこいつもハートでカガヤケとか、ね。
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シンゴジラ 前編

僕の子どもは高校受験のときに第一志望の高校にもその次の高校にも落ちた。
僕はあまり口出ししてなかったけど、何となくうまくいかないような気がしたので、もうひとつ誰でも受かるような高校を受けておけ、とだけ言っておいた。

結果、その誰でも受かるような高校に入学することになった。
誰でも受かるような高校だから偏差値的にはあれだけど、その高校は「偏差値的にはあれだけどまじめでおとなしい高校生がきちんと高校生活を送れるような環境作りをする」ということがウリの高校だった。

いろんなことがウリの高校があるものである。
だから彼が行った高校にはちょっとヤンチャな格好をした高校生が一人もいなかったし、仮にいたとしてもすぐに辞めていってしまう。
偏差値的にはあれな高校生を、いわゆる大人が想像する悪い道に行かせないことを命題としている高校なのだ。

最近の私立高校は細かくクラス分けされているので同じ私立高校なのにクラスによって偏差値が10くらい離れているのも当たり前のようにある。
子どもは入学試験の結果により、その高校の特別進学クラスとかいう、一番上のクラスに振り分けられた。その一番上のクラスは毎日授業が8時間もある。
勉強が苦手だから偏差値的にはあれな学校へ入ったのに、そこで一番上のクラスにいるだけで授業が毎日8時間あるのだ。

案の定、夏休みまでももたずに、学校を辞めたいと泣きながら訴える子どもと毎日家族会議が行われた。
ちょうどその頃、僕は走り始めた頃で、平日に毎日5km走ることに熱中していた。

だから、一応、お父さんらしく、腕組みをしながら目を閉じて人生について語ったりしなくてはいけないのだが、心の中では、オレはとにかく走りに行きたいんだよ、今すぐこの淀んだ空気の家を飛び出して、風を感じながら街を駆け抜けたいんだよ、と魂の叫びをあげていたが、そんなことはもちろん口には出さなかった。

そんな彼といろいろ話してとりあえず学校は辞めずにもう少しがんばってみようという差しさわりのない落としどころに落ち着いたのだが、そこから彼は吹っ切れたのか、みるみるうちに変わっていった。

まず、アルバイトをしたら停学という校則なのにアルバイトを始め、中学校のときは野球部だったのになぜだか浦和レッズのサポーターになりスタジアムへ浦和レッズの試合を観に行くようになった。
そのサポーター熱中度は日に日に高まり、静岡やら大阪やらついには佐賀まで遠征するようになり、家の車には勝手に浦和レッズのステッカーが貼られ、ときにはこれ何畳?と思うような旗を持って帰ってくることもあった。

これ、アルバイト始めたときも遠征するときも僕らには何も言わずに勝手にやりやがる。
あれ?あいつ帰ってこないぞ?どこにいるんだ?と思ってメールをすると簡潔に、佐賀、と返ってきたりするのだ。
その都度、ふざけんな、勝手に九州とか行くか、好き勝手やりたいんなら出ていけ、このボケ、みたいなことを言ったりするが、黙って頷くだけで何も直らず、最終的には勝手に韓国まで行きやがった。

そんな感じで高校生活を続けていたが、その特別進学クラスでの彼の成績は常に最下位近辺だった。
それでも一度特別進学クラスに入ったものは下のクラスには行かないというルールのようだった。
そんで、そんなに偏差値的にはあれな高校でも学校指定の推薦入学というものがあり、特別進学クラスの生徒はそれを利用して大学へ行く者が多かった。

子どもは、今や偏差値など測定不能なほどの成績なのに、そのクラスにいたという理由だけで大学へ入学した。
だから、まぁ、大学へ行けば苦労するわな。

それなのに相変わらずバイトと浦和レッズの日々で、大学にすらろくに行っていないようで、1年生の前期が終了した時点で、もう学校辞めたら?と言わざるを得ないような成績だった。

今でもそれは変わらず、バイトばかりで、浦和レッズの試合を観に行くことは何年か前に止めたようだが、最近は毎週のように府中競馬場へと出かけたり、たまに僕がまったく聴いたことがない、名前すら知らないロックバンドが集まるフェスとかに行ったりもしている。
もちろん勝手に生きている。
ロックバンドのフェスに行ったというのも、妻が子どもから集めた情報の断片をもとに妻がネットで調べて、どうやらロックバンドのフェスに行っているらしいと聞くだけだ(笑)

うわぁ、まさかこれつづくになると思わなかった。
家族のことを細かく書くことは僕の中で禁止事項だったのに。
シンゴジラ全然関係ねーし(笑)

つづくにしとくけど、書くかわからない。
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走りだして9年目に突入!
そろそろどうにかしないとな。

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